【現代文明論】2025年度 第9回 櫛田 淳子 先生

植田俊 www.youtube.com

簡単なまとめ

この講義では、天文学が文明の始まりと発展にどのように関わってきたかを解説します。古代から現代に至るまでの宇宙と地球の理解、そしてそれらの知識と技術が人類社会に与えた影響を3つの時代に分けて見ていきます。

  • 天文学は、時刻や暦の決定、航海術の発達、文化や芸術に影響を与え、異文化交流を促進しました。
  • 大航海時代には、天動説から地動説への転換が起こり、望遠鏡の発明と改良が天文学の発展を加速させました。
  • 現代では、宇宙の全貌が明らかになり、相対性理論がGPSなどの技術に応用されています。

天文学とは何か

天文学は、宇宙の構造、天体の運動、そして宇宙の起源などを研究する学問です。太陽や地球も宇宙の一部であり、人類の生活に深く関わってきました。古代の人々は太陽の動きを観測して時刻や暦を決定し、航海術を発達させ、星座を作り神話を生み出しました。異なる文化を持つ社会が宇宙という共通の認識を理解し合うことで、異文化の交流と理解が促進されました。

天文学の始まり

人類がいつから夜空を眺めるようになったのかは明確ではありませんが、フランスのラスコー洞窟の壁画には、プレアデス星団や月の満ち欠けを示すと思われる描写が残っています。これらは、古代から星が神秘的で身近な存在であった可能性を示唆しています。太陽、月、地球は人類にとって最も身近な天体であり、特に太陽の動きを詳しく調べることで、1日の周期を測り、生活の基盤を築きました。

古代文明と天文学

古代エジプトでは、日時計を使って昼間の時間を細かく刻み、1日を24時間に分割する発想が生まれました。また、日時計の影の様子から季節の変化を記録し、365日を1年とする太陽暦を用い始めました。メソポタミアでは、星を結んで星座を作り、季節の目安としました。占星術は、当時の人々の生活に深く関わり、天体の観測を活発に行う動機となりました。日食や月食などの天体現象は、古代の人々にとって大きな意味を持ち、記録や予測が行われました。紀元前585年には、日食が戦争を中断させ、和平を成立させたという記述も残っています。

地球の形状と大きさ

紀元前4世紀頃の古代ギリシャでは、ピタゴラス学派が地球は球体であると考え、その大きさを測定しようと試みました。エラトステネスは、夏至の日にシエネで影ができないことと、アレクサンドリアでの影の長さを比較し、地球の円周を約4万5000kmと算出しました。これは、実際の距離に近い値であり、当時の技術としては非常に高い精度でした。

中世の天文学

中世ヨーロッパでは、天文学においてギリシャ時代ほどの大きな発見や進展はありませんでしたが、イスラム圏で天文学が発達しました。アルバッターニは球面三角法を発見し、イブン・アルハイサムは光学の原理を解き明かしました。1420年には、ウルグ・ベクが巨大な天文台を創設し、詳細な観測を行い、ウルグ・ベク星表を出版しました。

大航海時代と天文学

大航海時代には、ヨーロッパ諸国が世界規模の航海を行い、新大陸や新航路を発見しました。航海には天体の位置を用いた航海術が不可欠であり、天文学の発展が航海を支えました。この時代には、天動説から地動説への転換という大きなパラダイムシフトが起こりました。コペルニクスは地動説を提唱し、ガリレオ・ガリレイは望遠鏡を使って地動説を裏付ける観測を行いました。ケプラーは、惑星が太陽を1つの焦点とする楕円軌道を回っていることを発見し、地動説の弱点を解消しました。

望遠鏡の発明と進化

望遠鏡は、1608年にオランダのハンス・リッペルハイによって発明され、ガリレオ・ガリレイが改良しました。ガリレオ望遠鏡は、20倍という高い倍率で観測を可能にし、月のクレーターや木星の衛星などを発見しました。ケプラーも望遠鏡を改良し、ケプラー式望遠鏡を制作しました。1668年には、ニュートンが反射望遠鏡を発明し、望遠鏡はさらに進化しました。

光速度の測定

大航海時代には、光速度の測定も行われました。レーマーは、木星の衛星の食の観測から、光速度が有限であることを発見しました。これは、光が無限の速さで伝わるのではないということを実証する画期的な発見でした。

宇宙への進出時代

近代に入り、宇宙の全貌が明らかになり、地球は太陽の周りを回る惑星の1つであり、太陽も銀河の一部であることがわかりました。アインシュタインの相対性理論は、宇宙の現象を説明するために欠かせない理論となり、GPSなどの技術に応用されています。太陽は、地球にエネルギーを供給し、生命を育む源であり、そのエネルギー源は核融合であることが明らかにされました。宇宙は膨張しており、その始まりはビッグバンであるという理論が提唱され、宇宙マイクロ波背景放射の発見によって確かなものとなりました。

宇宙開発競争と地球

第二次世界大戦後の冷戦時代には、アメリカとソ連の間で宇宙開発競争が発生しました。1961年には、旧ソ連が人類初の有人宇宙飛行を成功させ、1969年には、アメリカのアポロ11号が月面に着陸しました。宇宙から見る地球は、国境がなく、もろく儚い存在に見え、地球温暖化対策や国家間の緊張など、地球規模の問題をグローバルな視点から考える必要性を訴えました。

課題

  1. 講義内容のまとめ
  2. 地球環境や人類存続を脅かす問題と、その解決策についての考察
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0:00 皆さん、こんにちは。東海大学理学部物理 学科の岸田です 。今日は天文学が文明の発症と発展にどの ように関わりがあったのかについてお話し します 。この講義では古代から現代に至るまで どのように宇宙と我々の地球を理解してい たのか。そしてそれらの知識と技術がどう 人類社会に影響したのかについて話します 。初めに天文学とは何かについてお話しし た後、3つの時代を順番に見ていきます

0:49 。最初は初代から1500年頃までです。 文明の発症にどう天文学が関わってきたの でしょうか? 続いて大公開時代が起こった1500年 から1800年頃です 。この頃天門学的にも天道説から自動へと 大きな発想の転換がありました 。そして現代に至る1800年 以降我々は人工衛星やロケットを開発し、 地球を飛び出して宇宙へと進出しました

1:38 。素晴らしい科学技術を生み出した一方で 地球を脅やかす問題も起こっています 。この講義の中で宇宙の中でも生命が育ま れる貴重な環境を持つ地球について改めて 考えていきましょう。 目に天文学とはどのような学問かについて お話しします 。天文学とは宇宙の構造や天体の運動、

2:28 科学の蘇生などを研究する学問です 。空に輝く星を見ることは我々の生活には 関係ないんじゃないのかと思うかもしれ ませんが 、天文学はまだ文明が起こる前の最古の 時代から私たちの生活に大きく関わってき ました 。なぜならば太陽そして地球も宇宙の一部 であり天文学の対象だからです 。どちらも人類が生きていく上で欠かせ ない存在です

3:16 。まだ文明が起こる前に太陽の動きを 詳しく調べることで生活の根本となる時刻 や歴を決めました 。また牛表として公開術が発達し、人々は 海に進出し、自分たちの世界を広げていき ました 。また星星を結んで星座を作り、神話を 生み出すなど天文音学は多くの文明の文化 や芸術にも影響を与えてきました 。異なる文化を持った社会でそれぞれ理解

4:04 してきた宇宙という共通の認識を互いに 理解し合うこと から異分化の交流と理解を促進する手段と なりました。 私たち人類はいつから夜空を眺めるように なったのでしょうか ?そしていつから天文学は始まったの でしょう ?これらの質問には明確な答えはありませ

4:50 んが、運良く記録に残ったものとして フランスの南西部にある脱ス洞窟の壁画が あります。 こちらの写真の壁画は牛と推測されてい ます 。この牛の肩の周りに小さな点の集まりが 描かれています 。その形と牛の一関係からこの点の集まり はプレアデス星団ではないかという説が あります。 また月の道かけを示すと推測される黒い点

5:37 の列や夏の第三角形を描いたと思われる 造形巨大な水星の衝突を記録したとされる 壁画なども残っています 。これは1つの仮説で、この壁画が天体を 示したものかどうかを明確に確かめる方法 はありません 。しかし古代から星は神秘的な存在であり 、そして身近な存在であったのではない でしょうか 。人類は文明が起こるより前の愛古の時代 から宇宙に興味を持ち、天体について高度

6:26 な知識を身につけていたのかもしれません 。我々にとって最も身近な天体は太陽、月 、そして地球です 。特に我々の生活、食べ物を得るために狩 をして急速のため睡眠を取る。その生活を する上で日ので日の入りをすることは重要 になってきます 。人々は太陽を詳しく調べることで1日の

7:16 周期を測りました 。太陽は眩しいため直接見ることは困難 です 。そのため人々は地面に落ちる影を利用し て1日を測り始めました 。これがヒです。 現在4000年頃のエジプトでは地上に まっすぐに棒を立てて昼間の時間を細かく 刻んだヒがあったとされています 。古代エジプトの時代から昼間と夜を それぞれ12等分に分けて1日24時間に

8:03 する発想が生まれていました 。この写真はエジプトのルクソル神殿の前 にあるオベリスクです 。オベリスクは信仰を司さったり、記念費 の一種として古代エジプトからローマに かけて建てられましたが、実はヒとしての 役割も果たしていました 。またヒの影の様子を詳しく観察し、季節 によって影の長さが異なることにも気づい ていました 。古代メソポタミア文明の遺跡からも1

8:49 年間の影の長さの変化を記録した粘土版が 数多く出度しています。 系によって古代の人々は太陽の動きをほぼ 正確に記録する術を身につけました 。これにより季節が365日周期で変化を 繰り返すことを知り、季節変化を スケジューリングできるようになりました 。 季節の変化を知ることは濃厚民族にとって

9:37 は必要不可欠です 。エジプトではナイル川が毎年一定の時期 に氾濫を起こします 。氾濫により記憶な土が運ばれ、豊かな 実りをもたらします。 濃厚作業の準備のためにいつナイル側が 判断するかを知ることが重要になります 。そのためエジプトでは365日を1年と する太陽歴を用い始めました 。この写真は千ネジェムという名の職人の 墓に書かれた壁画です。

10:26 ライセの世界で濃厚をしている様子が描か れています。 脳を耕し、種を巻き、仮取りをし、香水の ような様子もあり、当時のエジプトで人々 に歴に沿った生活が浸透していたことが よくわかります 。エジプトで利用されていた歴は365日 を1日としていますが、実際に地球は太陽 の周りを 365.2422の周期で回っているため 365日を1年にするとずれてきます

11:14 。そのためウルードを制定したりしてずれ を補正したグレゴリオ歴を現在の我々は 利用しています 。夜空にはたくさんの輝く星があり、人々 は夜空を眺めては目立つ星をついで形を 作り物と結びつけてきました。 様々な文明地域で固有の星座が作られてい ます 。現在知られている星座の始まりは紀元前 3000年頃にメソポタミア 地方今のイラク周辺だったと言われてい

12:02 ます 。種を巻いて作物を育て収穫するには季節 を正しく知る必要があります。 そこで星を結んで竹や農具などの形に 見立て季節の目安にしたのが星座の始まり の1つだと考えられています 。その後動物や神話や伝説の英雄が描かれ 、様々な文化に引き継がれ、紀元前4世紀 頃のギリシャで現在用いられている88 星座の原型ができてきました 。地球から見て太陽がどこの星座を中して

12:52 いるのかを示す。太陽の動く道筋を行動と 呼びますが、1年間かけて通過する12の 星座を行動12星座と呼んでいます 。成暦150年頃アレクサンドリアの プトレマイオスによって分類されました 。12星座は運勢を占う星占いなどで有名 ですね。 この星占いも星座が作られたメソポタミア が発症 で当時は動物の振る舞い、脳作物の 出来の氾濫、雨や虹

13:41 、日の出日没 など自然に起こる様々な現象 占いの対象でした。 現在は占いと科学は別物ですが、古代では 占星術は科学的な観測とそれに伴った予測 と根拠のない余地が混ざったものでした 。当時の人々はその年の作物の出来や天候 が即精に関わるような不安定な毎日を送っ ていますから、余地や予測をより正確に しようと天体の観測を活発に行っていった

14:28 のかもしれないですね。 朝になると太陽が登り、夕方になると太陽 が沈む 。そして1年かけて様々な季節が回り、 農業を営む 。その毎日の繰り返しの中でいかに豊かに 安心して暮らせるかを追い求め、努力して いた人々にとって突発的な天体現象は大い に恐れを持って受け止められてきました

15:14 。特に我々にとって恵みをもたらす最も 身近な天体である太陽が急に暗くなる日食 現象は何も知らない人々にとってみれば 恐ろしい出来事の前ぶれに感じたに違い ありません 。この図を見 ていただきたいのですが、日食とは太陽と 地球の間に月が入り、月によって太陽の 一部または全部が隠される現象です 。太陽と月の通り道が5度傾いているため

16:03 、日食が新月の度に起こるわけではあり ません 。同じ場所で日食が見られることは稀れな ので、古くは信仰や占いの対象として考え られたりしてきました 。日本の神話でも天照ラス大御が天の岩に 隠れるといった神話は日食を表していると 言われています 。ま、こんな稀れな現象なのですが、 紀元前600年前の古代バビロニアでは

16:50 日食が月が太陽を隠している現象でおよそ 18年と11日後に起こるということが すでに知られていて年度版に記録が残って います 。日色に似た天体現象で月色があります。 こちらは月と太陽の間に地球が入ることに より月が隠される現象です 。月色は世界中では年に1度、同じ地域で も3年に1度程度と日食よりかは同じ地域 で頻繁に起こるため月色をもに日色がある

17:37 程度周期的に起こる現象だと予測したのか もしれないですね 。当時の人々はそれだけ太陽や月を注意 深く観測し、また計算する能力も高かった ことがわかります 。紀元前585年頃、今の中東周辺の 2国間の戦争中に日食が起こり、戦闘は 中段 。両者とも不安を覚えて和兵が成立したと いう記述があります 。この時の日食を古代ギリシャのタレスと

18:22 いう人物は予測していました 。知識があるということは物事を有利に 運ぶことが可能であったのかもしれません 。 人類はいつ頃地球が休憩であることに 気づいていたのでしょうか ?それは紀元前4世紀頃の古代ギリシャで はないかと推察されています 。古代の4大文明ではいずれにおいても

19:11 大地は平らなものと捉えられていたよう です 。ギリシア時代に入ると当時数学や門学に たけていたピタゴラスを中心とした学派 は数学的に最も完全な形が円や9であり 偉大な宇宙の形や運動は円やで表されると いう信念を元にして科学的視点と観察から 自然を解き明かそうとしていました。 ピタゴラス学のエクパントスは月色の際の 地球の影の形が丸いという事実

19:58 から地球は球体であり自転していると唱え たとされています 。ギリシャでは地球が丸いならその大きさ を運と試み始めました。 現前250年前後にエジプトで活躍した ギリシャ人のエラトステネス は下の日の生午 に自分の居住地であるアレクサンドリアに 地面に棒を立てて棒と棒の影の長さを

20:45 測り下しに太陽が真上を通る支援との距離 をもに地球の前習を計算しました 。この図はその時の様子を表しています 。シエネでは下に太陽が真上にいるため影 ができません 。アレクサンドリアはシエネのほぼ巻きた 。すなわちほぼ同じ度であるため、棒と影 の長さから太陽の光が何度傾いて入社する

21:31 かが分かります 。2つの都市の距離が分かればこの棒の影 の角度と距離から地球の前が計算 でき 4万5000kmと求めました 。実際の距離は4万kmですが、当時の 技術としてはかなりの制度で測定できた ことがわかります。

22:22 ここまでメソポタミアとエジプトを含む オリエント地域 、ギリシャを含むヨーロッパ中心の文明の 発症から進展について見きました 。もちろんヨーロッパ以外の国々でも独自 の文明の発展に天文学との関わりがあり ましたが 、形が異なるとはいえ、運命の発症には 太陽地球の理解が欠かせなかったこと でしょう 。さらに時代が進み5世紀から15世紀に

23:08 かけての中世ヨーロッパは天文学において ギリシャ時代ほどの大きな発見や進展は ありませんでした 。この時代はイスラム県が経済的にも軍事 的にも大きな力を持ち、イスラム県で天文 学が発達していきます 。9から15世紀頃にイスラム県で発展し た主要な業績をいくつか紹介します。

23:53 1つ目はアルバッターニによる急面三角法 の発見です 。急面三角法とは急面上の三角形の関係を 表す法則です 。例えば地球は急面のため地球上の3箇所 の距離や角度を表そうとすると普通の sincosで表す平面三角法では正確に は表せません。 面三角法を用いれば天球上の星の位置や

24:39 地球上の場所をより正確に求めることが できる ため天文学や公開に非常に有要です。 自分アルハイサムは近代工学の父とも呼ば れており、レンズの屈折や鏡の反射実験 から高額の原理を解き明かしました 。これらの技術はこの後お話しする望遠鏡 の政策に欠かせない知識です。

25:25 こちらの図で示したのは1572年に ハイサムが書いた書の表紙として出版され たものです 。太陽光を集めて白草置きの軍官を燃やす アルキメデスの装置が描かれています。 また1420年にはウルグベクによる巨大 な天が創設されました 。この天で詳細な観測を行い

26:10 ウルブベク聖書を出版しました 。これは後々まで利用される重要な性表と なりました。 個体から1500年頃までのまとめです 。太陽観測を中心とした天文学的知識は 文明の発症と発展に大きな影響を果たして きました 。太陽の動きは生活設計の基盤であり、

26:59 太陽の動きを観測し、1日や1年の長さを 決める。今も続いている歴の始まりです 。より詳細な観測を行うため、知識だけで なく技術や装置も発展しました 。これらの知識技術は社会文化の発展に 大きく起与します 。実際に日食の予測や地球の大きさを図る など当時の知識と用いることのできる技術 としては高い制度を誇っています 。それだけ人々は天文学と生徒の高い観察

27:49 から事実を導き出す科学的手法を重要視し ていたことがわかります。 頃まで大公開時代の始まりと天文学との 関わりについてお話しします。

28:45 大公会時代とは5世紀半ばから17世紀 半ば ヨーロッパ諸国が世界規模の後悔を行い新 大陸や新路を発見した時代のことです。 ヨーロッパが大いに栄えた時代であり 、天文学と文明発展の関わりもここでは ヨーロッパの出来事を中心とに見ていき ます 。様々な国が互いに 競い合い新大陸やコ路を発見していきまし た。 例えば1492年コロンブスが大西洋を西

29:37 に進んでアメリカ大陸に到達しています 。また1498年にはバスコダマが アフリカ大陸の南タを回ってインドに至る コ路を開いています 。1522年にはスペインの炎上を受けた マゼランの艦隊が世界一周の公開を 成し遂げました 。こちらの写真は1502年に書かれた カンティの平面研究図で現存する最古の 平面図と言われています

30:25 。この図をよく見るとコロンブスが中央 アメリカ 、バスコダガマがインドに到達したことが 記録されています。 ヨーロッパとアジア、アメリカとのつがり が生まれ、経済活動が地球規模に拡大し ました 。また世界規模で文業システムが成立する ようになりました 。一方、侵略により文化や伝統が脅やかさ れることになりました

31:13 。未の大陸を目指し、大ウ原に船を出すの には大きなリスクが伴います。 新版造船技術の発達はもちろんですが、 目印のない会場を後悔するには天体の位置 のもに公開を行う点候補が不可欠でした。 大公開時代には社会構造に大きな変化が

32:00 起こりましたが、この時期は天文学でも 大きな転換機となります 。天道節から自動への転換です 。そもそも天道説と自動とは何でしょうか ?これまでは宇宙の中心は地球で太陽や星 などが張り付いた天球が地球の周りを回っ ていると考えられてきました 。これを天道説と呼びます。

32:48 ところが実際には地球を含め火星や木星 などの惑星は太陽の周りを回っています 。そのため惑星は他の星とは異なり、常に 一定の方向に動かず太陽と逆の向きに動く 時があります。これを逆行と呼びます 。ポーランド出身のオペルニクスはこの 逆行の原因が地球と各惑星が太陽の周りを 回って

33:34 おり点速度の差によって生じると考えつき ました 。これが自動説です。 このように今まで多くの人が信じてきた物 の見方や捉え方が大きく変わることを パラダイムシフトと呼びます 。コペルニクスは自身の本でこの考えに 至った戦的な研究としてイスラム県の5名 の研究を上げています 。これまでの知識や技術の積み重ねと

34:22 裏付けをも に大公開時代の新しい風のもこのような 定期の大転換となるパラダイムシフトが 起こったのでしょう。 コペルニクスによる自動の提唱は理論的な アイデアであり、観測的な事実が伴わ なかったこともあり、なかなか受け入れ られませんでした 。自動説はこの後紹介する2人の科学者 ガリレオガリレイとケプラーによってより 確かなものとなっていきます

35:24 。1人目のガリレオガリです 。彼はイタリアで数学の教授でしたが 、観察、仮説、実験、そして法則化すると いう手法を文じて物理学での重要な運動 法則を発見しています 。またオランダで望遠鏡の原型が発表さ れるといち早くその原理を考察しより制度 の良い望遠鏡を制作しました 。ガリレオの制作した望遠鏡は20倍と

36:12 いう当時にしては脅異的な倍率を誇って おり、今まで見えなかった月のクレーター や木星の衛星、土星の輪らしきものを 見つけることができました 。こちらでは東海大学の望遠鏡で撮影した 月 を載せています 。月のクレーターがよく見えてますね 。これら観測事実が明らかになると天動説 では説明できないことが積み重なってきて

36:58 自動を確信していくことになります。 しかしガリレオガリは自動説が遺と見なさ れることにも気がついており1632年に 彼が出版した天文対話では天道説も指導説 も祖方あくまでも仮説上の話とし 指導説のみを唱えているわけではないこと を注意深く書いていました 。しかし結局1633年にガリレオは宗教

37:46 裁判にかけられて有罪となり、地道説は 誤りであると認めさせられたのでした 。それでも地球は動いているとついたか どうかは定かではありませんが、室のうち に1642年に障害を閉じます 。科学より宗教の方が思じられていた社会 的背景もありますが 、このことから今まで信じられていた説を 覆すにはいかに困難なことかがわかります 。

38:39 社会背景以外にも自動には価格的な根拠と して弱点があったため、多くの科学者も 納得していませんでした 。それは自動として太陽の周りを回る惑星 の軌動が完全な縁であると仮定していた ため 、天道説と比べても自動での惑星の1制度 があまり良くならなかったことです 。ドイツに生まれたケプラーはガリレオと 同時代の天文学者です。 ガリレオ式望遠鏡を改良したケプラー式

39:24 望遠鏡を制作しています 。ケプラーの師匠であるティコブラーエは 望遠鏡がまだない時代から確信的に制度の 高い天体の観測をずっと続けてきました 。彼の死護膨大なデータを引き継いた ケプラーはケプラーの法則を見つけます 。この法則のうちの1つは 惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を 回っているということです。

40:11 ケプラーによる観測装置の改良や彼の深い 知識ももちろん重要でしたが 、ケプラーの法則の発見には詳細なデータ の積み重ねが重要な役割を果たしたと 言えるでしょう 。こうして自動説の弱点が解消され、地道 説であるという証拠が積み重ねられていき ましたが 、自動の直接的な証拠となる年収資唆の 検出は1800年代まで待つことになり ます。

41:05 ここまでのお話にも出てきましたが、 地道説の確率には望遠鏡の発明とその進化 が必要不可欠でした 。望遠鏡は1608年オランダのメガネ氏 ハンスリッペルハイが発明しました。 これを聞きつけたガリレオガリレはその 仕組みを理解 し1609年自作の望遠鏡を制作します 。凸レンズに大レンズを組み合わせた

41:51 ガリレオ望遠鏡です 。20倍という今までに比べて非常に高い 倍率で観測が可能になりましたが 、視野の狭さと望遠鏡の筒が長くなること が欠点でした 。テプラーも望遠鏡に興味を持ち、自分の 手元にある望遠鏡ではガリレオの観測を かき確認できないため応望遠鏡を送って 欲しいとガリレオ本人に頼んだそうです 。その手紙が今も残されています

42:39 。ケプラーによって改良された望遠鏡は凸 レンズに凸レンズを組み合わせており倍率 を上げやすいのですが像が逆さになって しまうという欠点を持っていました 。この後もいくつかの改良が重ねられてき ましたが、現在一般的に使われている タイプは1668年のニュートンによる鏡 を利用した反射鏡の出現まで待つことに なります 。3期間にこのように望遠鏡が急激に改良 されていったのには科学者の未知なるもの

43:27 を解き明かしたいという情熱があった おかげに違いありません。 最高時代に天文学のパラダイムシフトとし て発見されたもう1つの出来事として 高速度の測定があります。光の速さは有限 だったのです 。遠容中に船の正確な位置を知ることは

44:13 重要な問題です。 船の現在いる場所を知るため に移動を知るには北極性の高度を測れば 分かりますが 、軽度を測るには正確な時計が必要でした 。船の上で正確な時刻を知るため に周期的に起こる変態現象を天の時計とし て利用しようとしました 。この時使われた天体現象はガリレオの

44:58 発見した木星と木星の 衛星木星に衛星が隠される職という現象 です 。1672年からレーマーは木星の職の 観測をしていて、職の起きる周期が時間と 共に変化することに気がつきました 。そしてこれは木星と地球の距離が変化し 、また衛星からの光が地球に届く時間が 変わっているためという独自の発想を得 ます。

45:45 時間差から光が進む速度を計算したく ところ2.1×10の8m/秒と求められ ました 。現在知られている高速度の値は3.0× 10の8m/秒です 。当時の制度からはかなり良い測定だった と言えるでしょう。 光は無限の速さで伝わるのではないという ことを実証する画期的な発見でした

46:37 。1500年から1800年をまとめます と時代の年間と言えるでしょう 。大公開時代にはヨーロッパとアジア、 アメリカとのつがりが生まれ 、経済活動が地規模に拡大しました 。また一方で国力、軍事力を持つ国が侵略 を行い、文化や伝統が脅やかされることに なりました 。かこたる黒力を持つために公開術価格 技術の発展がより重視されていきます

47:28 。大公開時代を支える遠用公開を行うため に は天体の位置を用いた点速候補が必要 不可欠となります 。そのため天体の位置をより正確に観測 する技術が向上していきました 。この頃望遠鏡が発明されたのも時代的 背景によるものでしょう 。望遠鏡の発明と改良によりさらに正確な 天体観測が可能になりました

48:15 。天門学場でも大きな転換を迎えます。 天動節から自動への転換です 。理論上の仮説に過ぎなかった地道説です が 、望遠鏡の改良に より正確な天体の位置や様子が観測され、 確かな理論へと確立されていったのでした 。科学者の真実を知りたいという熱意の 玉物であると言えるでしょう。

49:18 次からは1800年以降宇宙への寝室の 時代の説明に入ります 。近代に入り、我々はついに宇宙の前貌に ついて知ることになります。 宇宙の中心だと思っていた地球は太陽の 周りを回っている惑星の1つであり 、その太陽も多数の星の集団からなる銀河 の本の一部だということがわかりました

50:12 。銀河に はブラックホールが中心にある と想像され、今はそれが証明されています 。さらに宇宙にはこのような銀河が たくさんあり、銀河からな宇宙は膨張して いることがわかりました 。広大な宇宙の中の小さな惑星である地球 は数ある星の中

50:57 のほんの1つに過ぎないということが 分かったのです 。 しかし地球はこの動広大な宇宙の中でも 唯一水を保有する星であり、地球外の生命 は未だ見つかっていません 。こちらの画像は近年NASASA のハッルとジェームズウェップ望遠鏡に よって撮影された遠方の宇宙の画像 でたくさんの銀河が集まって銀河の集団を 作ってる様子が実際に観測をされています 。

51:53 このように桁外れに広大な宇宙での現象を 説明するために欠かせないのが相対性理論 です 。ある時アインシュタインは1つの光線を 光のスピードで追いかけたら光線はどんな 風に見えるのだろうかと考えました。 質量を持たない光は特別な振る舞いをする はずで 、どんな時でも光の速度は一定になり、

52:41 光線を追いかけても追いつかないのではと 考えつきました。 これを高速度不遍の原理と呼びます 。真空中の光の速度は普遍で唯一絶対で あるというこの仮説を元にする と以下の奇妙な結論が結びついてきます 。それは物体が光の速度に近づくと時間は ゆっくり進み 、物体は長さが縮み、そして質量が増え

53:31 重くなるという現象です 。さらにこのことからエネルギーは物質の 質量と高速度の事情をかけたものに等しい という式が導き出されました 。この関係式は後に原子格膨大な エネルギーを取り出すという核エネルギー の利用へと繋がります。 相対性理論というこの一見奇妙な現象は 我々の生活には全く関係がなさそうに見え

54:18 ますが、実は我々はこの相対性理論に非常 にお世話になっています 。これはGPS衛星による正確な位置の 測定の補正に関してです 。今日我々はスマートフォンを使って位置 情報を便利に利用していますね 。この1度制度に関わる問題です。 EPSは地上の約2万kmの高さを周回し

55:05 ています 。そのため相対論的効果によっ てGPS衛生と地上の重力が異なるために 時計にずれが発生します 。この時間のずれがあると無視できない ほど位置がずれてしまうので相対性理論を 用いて補正されているのです 。この補正がないと1日に1情報が1km ほどずれると言われています 。我々がGPSによって自身の正確な位置

55:50 を知ることができるのは相対性理論の おかげなのです 。他にも相対性理論によっ て導かれた様々な関係があります 。その1つは太陽のエネルギー源について です 。太陽は宇宙に数多くある星のうちの1つ で、夜空に輝く星たちは太陽と同じく自ら 輝く光性であるということは分かってき ましたが、それでも太陽は地球に近いため

56:37 我々にとっては特別な存在です 。太陽からの放射のおかげで地球は食物が 育ち生命を育むことができます 。地球の気候や気象、海流の動きなども 太陽の影響によって起こっていますので 生命の皆源と言えるでしょう 。もし地球の軌道、太陽の周りを回る軌道 が太陽に近すぎても暑くなってしまい、遠 すぎると寒くなりすぎてしまいますから、 地球は太陽から最適な距離にあったおかげ

57:23 で生命が生まれ、人類が発展していきまし た 。この太陽からの放射が地球に到達した分 のエネルギーを調べる とたった20秒間 に地球の全体がに太陽から受けた エネルギーで日本の年間層発電量を賄える ほどの量になります 。このような膨大なエネルギーを放出して 太陽はなぜ輝き続けることができるの でしょうか

58:08 ?この問題は物質を構成 する原子格や電子などを研究するソ粒子 物理学者たちによっ て太陽中心部で起こる核融合によるもので あることが明らかにされました。 星の中心では高温高密度でたくさんの水素 が存在します 。やがて水素同士が互いに融合し合い、 水素からヘリウムが作り出されます。これ が核融合反応です

58:55 。核牛号によってどれぐらいのエネルギー が取り出せるのでしょうか ?これは先ほどお話しした アインシュタインの特殊相対体制理論で 導かれた式を用いれば計算できます 。それによると太陽中心の1gの水素が ヘリウムになるだけ で石油のほぼ1万6000Lを燃焼させた 量に等しいエネルギーを得られることが わかりました 。現在我々が主要なエネルギー源として

59:42 用いているのは石油エネルギーです。 石油には機嫌があり、いつかは枯渇して しまいます 。このエネルギー問題を解消するのに核 エネルギーというのは売っ付けですが、 その代わりこの膨大なエネルギーを人間の 手で扱うにはまだ大きなリスクを伴ってい ます。

1:00:27 アインシュタインによる一般相対性理論を 宇宙に適用すると宇宙が膨張したり収縮し たりとするという理論 にが予言されました 。宇宙が膨張していることは遠くの銀河が 我々から遠ざかるというアによる観測に よって明らかになります 。宇宙が膨張しているのであればそもそも 宇宙の始まりはどうだったのでしょうか ?1946年頃宇宙は高温高密度の日の玉 状態で誕生し膨張と共に温度と密度が

1:01:18 下がりその過程で元素ができ星や銀河など が形成され、現在に至ったというビッグ バン理論が提唱されます 。この理論は宇宙から届いたマイクロ派 背景放射が発見されることによって確かな ものへと確立していきました。

1:02:03 宇宙の前貌が分かってくると、今度は我々 は宇宙への寝出を目指していきます 。特に第2次世界大戦後の冷戦時代には アメリカとソ連の私立な宇宙開発競争が 発生しました 。最初に宇宙に飛び出したのは旧ソ連に よるスプート肉号で初めての人口衛星です 。

1:02:49 また 1961年には旧ソ連による人類初の友人 宇宙飛行が行われました 。この写真はこの時宇宙から放出された カプセルを表してます。 このカプセルに乗り込んでいたガガーリン は地球は青かったという有名な言葉を残し ています 。19間から地球を見た初めての感想です ね。

1:03:37 続いて1962年にアメリカによる友人 地球集会飛行も行われるようになりました 。 空間での人の飛行が可能になると、今度は 人々は月を目指します 。ついに1969年7月16日 、アメリカによるアポロ11号が月に向け

1:04:22 て打ち上げられます。 4月20日にはアポロ11号は月面に着陸 します 。この時面に降り立ったニール アームストロング船長 は1人の人間にとっては小さな一歩だが、 人類にとっては偉大な飛躍だと述べてい ます。 月への到達は宇宙空間で耐える素材や ロケットエンジンの開発

1:05:07 、目標座標で着陸するための コンピューター技術など数多くの技術確信 によって支えられ た結果なしることができたのです 。これらの技術は我々の生活にも応用され 、豊かな暮らしをもたらしています 。アポロ計画に関連して23回もの ロケットの打ち上げが行われました 。必ずしも成功だけではありません 。失敗から問題解決方法を学び、何度も

1:05:56 トライしてこの異をなし得たのです 。この写真はアポロ11号に先だって人を 載せて初めて月を集回して地球に帰還した アポロ8号からの地球の姿です 。アプロの乗り組み員たち は真っ黒な宇宙に浮かぶ青く輝く地球を見

1:06:48 て地球はもろく明かない存在に見えたと 述べたそうです 。宇宙から見る地球は国境はありません 。外から地球を見つめること で国ごとの争いごとの無味さや地球の有限 さに気がつきます 。この写真は先のことのみに囚われるので はなく、グローバルに物事を考える必要性 を多くの人に訴えました

1:07:33 。地球温暖化対策になかなか合意できず 国家の緊張も高まっている。今だから こそこの重的な視点から地球を見ることが とても大事なのではないでしょうか 。皆さんはこの青く輝く地球を見て何を 考えますか

1:08:23 最後に課題についてお話しします 。課題の詳細や締め切り、提出場所は授業 支援システムに掲載されていますので、 よく確認して提出してください 。1つ目の課題は講義内容のまとめです 。2つ目は地球環境や人類存続を脅やかす 問題として何があるか、また問題解決の ためにどうしたら良いか。自らの考えを 述べてください 。以上でこの講義を終わりにします。 ありがとうございました。

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