0:00 さあ、それではその後のお稽古について見ていきましょうね 「年来稽古条々」というところが『風姿花伝』の第一にあるんですね 年齢ごとのお稽古の注意ポイントというのかしら そういうのを書いてくれているところがあるんですね 最初は七歳から始まってどんどん歳を重ねていくんですね 皆さんのご自分の七歳の時とかね やってきたことをちょっと振り返りながらですね 聞いていただけたらと思いますけれども まず世阿弥はこういう風に言っているんですね 七歳の心得ですね 「この芸において、おほかた、七歳を以て初めとす。」と お能の芸においては大体稽古というのは七歳からはじまるという風に
0:47 言うてはるんですね もう七歳というのは何かあるのかしらね 今も小学校は大体この七歳ぐらいから始まりますよね 学ぶという時には、七歳というのが何かいい年なのかもしれませんね 「この頃の能の稽古、かならず、その者、自然とし出す事に、 得たる風体あるべし。」と この七歳の頃の能のお稽古というのは、きっとね その人が、その子供が、自然とした事に「得たる風体」 「得る」というのは、これは得意の得ですよね 得意な、何か仕草とか演じる上での演技とかですね、あるだろうと
1:35 その子が自然とやったことの中に その子の得意なところというのがあるんだと その得意なところをちゃんと見つけてあげるというのも大事なことですよね 舞やはたらきなど、謡、または鬼の物まねなどでも良いから 偶然し出した演じ方を、干渉せずに、自由にさせるのがよいと もう伸び伸びと子供の好きなようにやらしてあげなさいよ、ということですね 「さのみに「よき」「悪しき」とは教ふべからず。」と むやみに「いいよ」「それダメ」とかね 良い悪いなんていう風に教えたらダメだよと 「あまりにいたく諫むれば、わらんべは気を失ひて、 能物くさくなりたちぬれば、やがて能は止まるなり。」と
2:23 これは何かちょっとよく分かりますよね あまりにひどく注意すると、注意されてしまうと 「諫む」というのは「注意する」ですね 「わらんべ」子供はもうやる気を失うということですよね やる気を失ってしまって、能がもう面倒くさくなってしまうよと 能が嫌になってしまうと そうすると自然と能というものはもうそこでストップしてしまうと 折角どんなに良いものを持っていたとしても お能におけるこの成長というのはストップしてしまうから とにかく能は楽しいんだよと、自然に好きなようにやらしてあげることが
3:13 大事ですよという風に言っている訳ですね お能は楽しいという風にまずは思わせるということが大事ですよと 何かもうこれは本当に教育論でもありますよね 皆さんの中には教職を志望していらっしゃる方も 多くいらっしゃると思いますけれども そういう教育論としても是非学んでいってくださいね これはよくわかるよね ちっちゃい時に親からいっぱいダメ出しをされてしまうと 「そんなん言うんやったらもうやれへん」となってしまうのは よくよく、皆さん分かるところやと思います まずは子供の自然な興味関心というものですね それを育ててあげましょう、という風に世阿弥さんも言うてはる訳ですね
4:01 さあそうして、十歳に入りますね 十二、三歳ぐらいの頃というのは、どういう状態かというと なにをしても「花」がある、といういい年齢ですよね この年頃からは、すでに、次第に歌声も笛の調子に合うようになり 演技にも自覚が生じる時期なので、だんだんと色々な演目を教えるとよいと 「まづ、童形なれば、なにとしたるも幽玄なり。声も立つ頃なり。」と 「まづ、童形」子供の姿、稚児姿ということですね だから、何をしても「なにとしたるも」、幽玄だということですね
4:48 幽玄というのは、この中世の、非常に美意識として有名な言葉ですけれども 幽かで奥深いという、そういう深妙な趣 こういうのはなかなか一言で言うのは難しいですけれども 幽かで奥深い、そういう何とも言えない趣があるというのは これは中世の幽玄という美意識ですけれども ここの文脈では、まだこれは子供のことを言うてますから 子供が何をしてもですね そんないきなりこんな幽玄に到達していたらちょっとね
5:34 凄い子供になってしまいますから ここはそのいわゆる「幽玄」ではなくて「かわいい」という ここでは、この文脈では「かわいらしい」ぐらいの意味の方がいいでしょうね まず十二、三歳の頃というのは、まだ子供の姿であるから 何をしてもかわいらしいんだ 何をしても素敵、かわいいね、いいね、という風に見れると それで「声も立つ頃なり。」と 声も耳にこう立って聞こえる まだ声変わりをしていない声というのは、とても高くて澄み透っていて 非常に耳ざわりがいいですよね ですから声もまだいい時期であると
6:27 「耳に立つ」というのはこれは良い意味ですね、プラスの意味で 非常に良く澄み透って、澄みきって、いい声でですね 耳ざわりがよく入ってくる声であるという意味ですね この「二つの便りあれば」とありますね 「姿」と「声」とですね、この二つがあるから 「悪き事は隠れ、よき事はいよいよ花めけり。」と この二つのことによって何か欠点があったとしても、それは隠れてしまうと そして「よき事」いいところ、いい点というのは、ますます花のように 魅力的になっていくんだという風に言っている訳ですね 「花」という言葉が出てきましたね 花のように美しく、魅力的になってくるんだと
7:16 いい年頃ですね、もう皆さんはちょっと過ぎてしまいましたね 私ももうとうに過ぎてしまいましたけれども 何をしても、かわいいね、いいわね、上手ねという風に 褒められるお年頃、十二、三歳と ところがですね これは世阿弥はこう注意しているんですね 「これはホンマの花ちゃうで」という風に言うてます しかし「この花はまことの花にはあらず、ただ時分の花なり。」と いう風に言っている訳ですね これは「時分の花」だよと その年齢特有の、その時限りの花なんですよということですね この「時分の花」に助けられるから この時期の稽古は、万事につけたやすいのだと
8:04 そういうわけで、この時期の芸は 一生の芸の善し悪しを見定める判断材料には、決してならないと 十二、三歳の頃の我が子が、何かをやって 「ああ上手!」と思ってはいけないよということですね それは時分の花だから、しっかりともっと見極めなくてはいけませんよと この年代というのは何をしても花があるものですから、ちゃんとね そこで「ああこの子には才能があるかも!」とかいう風に 早合点してはいけませんよという風に、ちょっと注意してはる訳ですね さあ、そうするとこの時というのは何に気をつけてお稽古をすればいいか と言いますと、この頃の稽古は 「やすき所を花にあてて、わざをば大事にすべし。」と
8:49 簡単にできる所ということですね だから、自分が得意にしていること、ということですね 自分が簡単にできてしまうこと そんなに苦労しなくてもできてしまうところ それを花にしなさいと それによって人に見せる自分のアピールポイントというんでしょうか そういうものにしなさいよ、ということですね その自分の得意技で魅力を発揮しておいて、一方で そればかりでは、「俺できてるわ~」とかまたこれは慢心ですね 情識を持ってはいけない訳ですね
9:36 そうではなくて、その裏でその陰で しっかりと技を磨けという風に言っている訳ですね 技術ですね、「技」 しっかりとした技術、これをつけなさいよと、確かな技術力ですよね 確かな技術力、日々の修練というもの、これが大事なんですよ、というね 所作もしっかりと正確に動き、謡も言葉をはっきりと発音して歌い 舞も型をしっかり習得して 一つ一つの技術を大事にして稽古するのがよいと 所作ですよね、そして謡、そして舞というね こういったもののしっかりとした型、基本技術ということですね
10:21 そういうものをしっかり大事にしなくてはいけませんよと これが十二、三歳ぐらいということですね しっかりと基礎固め、基礎練習をしなさいということですね これが大事な時期なんですよということですね という風にご注意をしておられます そしてその後、もうちょっと年齢が進んでくると 皆さんぐらいの頃になりますね 十七、八歳からということですけれども ここからしっかり聞いておかなあかんとこやね これは世阿弥が言うには大変な時期らしいですよ 皆さん覚悟してくださいね 大変な時期、この時期はまた、あまりに大変なので
11:06 稽古の種類は多くないと 何で大変か?というと「まづ、声変はりぬれば、第一の花失せたり。」と もう十七、八歳にして花がなくなってしまうと 最初の頃のあの花がなくなってしまうと、声が変わってしまうと 声変わりしてしまうので その最初の十二、三歳の時期の花というのがなくなってしまうと 苦労しなくても、澄んだ透る声だったのがちょっとなくなってしまうんだと これは何か今でもちっちゃい頃から歌っている歌手の人とか 声変わりの時期に一時活動を休むとかありますよね 何かそういうのにも通じるところが、ちょっと卑近すぎる例ですけれども
11:51 何かそんなことも思ったりもしますけれども まず、体の面の変化があるということですね ですから「第一の花失せたり」と それで「体も腰高になれば」ですね 体も身長がぐーっと、特に男の子なんかは伸びますよね この高校生ぐらいの時に、ぐーっと伸びますよね 身長が伸びて体つきが変わるということですね だから「かかり失せて」と ちっちゃい時のかわいらしさというものが なくなってしまうよということですね これは体つきが変わるということですね なので、美しさとか愛らしさですね
12:44 人の心を引っ掛けるようなですね 美しさとか愛らしさというものがなくなってしまうんだと それで「過ぎし頃の」と、昔の、以前のですね、以前の 「声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、 手立はたと変はりぬれば、気を失ふ。」と 以前は何をやっても「ああ素敵、かわいい、いいね」 という風に誉めてもらったと 声もいい声が出たし、見た目もかわいかったし まあ思春期の頃は、一時ちょっとモテたくなる時期というのを 今時の子はそんなにないかな、我々の頃はあったんですけれども そういうのもあって、ちょっと花が失せてしまうという時期が
13:29 どうしても皆成長の過程である訳ですよね そうすると、以前は声も花やかだったと 以前の声も美しく、そして見た目もルックスもかわいくってということですね そして「やすかりし」何でも簡単にできた時ということですね 何でも簡単にできた時から変化してしまった訳ですね 移ってしまったということですね その時からの変化に「手立はたと変はりぬれば」 「手立」というのは手段・方法ということですね だから、すべてのやり方がはたと変わってしまう、全く変わってしまうので
14:18 「気を失ふ」と 「どうやったらいいんや」ということで、やる気を失くしてしまう これが、ご注意点だった訳ですね 挙げ句の果てには、観客達もおかしそうな様子を見せるので 恥ずかしさと言い、あれやこれやで この段階で嫌になってしまうのであると 以前のかわいい時分を知っている観客達からすると 「あ、何かちょっと変わったね」という風にちょっと違和感というものを 演じた時に観客が見せたりしてしまう訳ですよね そういうのを見ると、余計に恥ずかしくなると この年頃は恥ずかしいお年頃ですよね そういう自意識が過剰になる年齢でもありますから そういうこともあって、恥ずかしさが極まって、あれやこれやで
15:07 何かもう能なんか、という風に 嫌になってしまいがちなんであるということです 何かこの世阿弥自身もこれは実体験なんでしょうね、きっとね やっぱりよく分かっているよね 何かこの成長過程の心理というものをね 色んなお弟子さんを見てきてそういう風に思ったというのもあるでしょうし ご自身も、何かそういう時を経てきたのかもしれませんね さあ、そこでですね ここの時にやる気を失って もう能から離れてしまったらダメだよという風に言う訳ですね ここが正念場 この時期の稽古は、ひたすら 「指をさして人に笑はるるとも、それをばかへりみず、」 家では、声が無理なく出せるような調子で
15:54 夜間・夜明けの謡稽古を行いなさいと 指をさして人に笑われたとしても 「ああ、あの頃はよかった、あんなかわいい声やったのに」とかね 「ああもう、ちょっとおっさんになってきたな」とか言われたりしてもですね そういう風にしても、それはもう気にしてはダメと言っている訳ですね 「それをばかへりみず」ですね 家でこっそりやればいいと、人前でやるのが恥ずかしかったら 家でやったらいいよと言ってくれている訳ですね 家で、声が無理なく出せるような調子で 夜間・夜明け、だから人に聞かれないような時間帯を狙って こっそり練習を続けたらいいんだよと言ってくれている訳ですね 夜間や夜明けに謡の稽古をしたらいいと それで「心中には願力を起こして」と
16:41 心の中ではもうしっかりと自分を持てという風に言ってくれている訳ですね 「願力」一念発起、神様に祈るような、神仏にもう願をかけるぐらいの 気持ち強さを持て、という風に言った訳ですね 神様や仏様に願をかけるようにもう一念発起して 自分の中でしっかりと信念というものを持っておかなくてはいけないと
17:26 「一期の境ここなりと」「一期」というのは一生という意味ですよね 一生の分かれ目、境やね ここで道が分かれると思えという風に言っている訳ですね ここだと思って「生涯にかけて能を捨つぬより外は、稽古あるべからず」と もうここで能を捨てたらダメだよと、ここで能を捨てないということ これがこの時期の稽古なんですよ、という風に言うてる訳ですね 能を捨てないということがもう一番の稽古だという風に言っている訳です
18:14 能を捨てないことが一番の稽古ですよと ここで捨てたらそのまま芸は終わってしまうであろう という風に言っているんですね とても厳しいんだけれども、非常にこのお稽古をする人の 何て言うか、身に立って書いてくれていますよね だから何かとても励ましてもらっているような 読んでいて気持ちになりましたけれども 皆さんどうですか? いい教育者だったんでしょうね、世阿弥という人はね 十七、八歳「ここが正念場。能を捨てるな」と
18:59 皆さんも今何か取り組んでおられることがあって「ちょっとアカンな」とか 「ちょっと凹むな」という時もあられるかもしれないけれども それを一生のことにしようと思ったら、今が踏ん張り時、頑張り時と思って この世阿弥の言葉を思い出してですね 精進していただきたいなという風に思います さあ、ここでちょっと一旦切りましょう