0:00 さあ、そうした室町時代の俳諧の状況というものを踏まえた上で 貞徳は、江戸になってですね どういう新しい俳諧というものを樹立、確立していったのか ということなんですよね やはり、その室町時代の笑いの作り方というものですね 下ネタを入れて笑わせるとかですね そういうのはもうある程度行くところまで行ってしまうと もうパターン化してしまう訳ですね 言ってみれば、ネタ切れみたいになってしまう訳ですね なので、そういう笑いの作り方ではない滑稽、俳諧というものを 探していかなくてはいけないんじゃないかと いう風に貞徳は考えるようになるんですね それでは、貞徳はどういう風に考えたかと 同じお題「霞の衣すそはぬれけり」という前句に対して
0:49 貞徳はこういう風に付けているんですね これは貞徳自身の考えた句です 貞徳は自分で『新増犬筑波集』という 先程の『犬筑波集』に増している訳ですね 増して『犬筑波集』の新しいバージョンですね 近世バージョン江戸時代バージョンというものを 作ろうという風にしたんですね その中に自分が同じ『犬筑波集』の前句に 自分だったらこう付けるという 新しい付け方というのをここで提示していくんですね その中で貞徳は、先程の前句にこういう風に付けています 「天人やあまくだるらし春の海」と
1:34 天人が、天の人が、天から下ってきたようだと 「どこに?」「春の海に」と だから、霞の衣は、その天人の衣の裾が、濡れてしまったんだと 美しいですよね さっきの立ちションとは、もう全然えらい違いになってくる訳です そうすると「天下る」ですね そうするとここで問題になるのは、これは美しいですよね、どう考えても 「これは何が俗なん?」ということになってくる訳です 俳諧というのはどこにあるのかと 連歌と何が違うのか、雅な世界と何が違うのか、ということですね それがどこにあるかというと
2:20 実はこの言葉にあるよという風に、貞徳は考えるんですね これは、今私は天人という風に読みましたよね これは音読みをしている訳です、言ってみれば熟語ということですね こういう熟語というのは、絶対に和歌では使わない言葉ですよね 漢語、簡単に言うと漢字の熟語ということですけれども こういうものは和歌では使わない言葉ですね 雅な歌を詠む時には使わないと こういう和歌では使わない言葉を入れることによって これは和歌ではないと、雅なものではないと
3:07 だからこれが俗なんですよと いう風に貞徳は考えた訳ですね つまりこれが俳諧の俗になると こういう風に言葉ですね これは「この言葉は絶対和歌では使わないよね」 というのを入れることによって 俳諧という風にした、そういうことで 俳諧を和歌とは違うという区別をさせようという風にした訳ですね 面白いか面白くないかということでやると やっぱり笑いのセンスは 今の感じでいうとちょっと卑近過ぎるかもしれないけれども 皆ちょっと違いますでしょう? どこで笑うかという笑いのツボは皆違うじゃないですか だから笑えるか笑えないかという基準で
3:55 俳諧かそうではないか、というのを考えるのは 結構、難しかったりしていく訳ですね そういう意味でいうと、和歌で使う言葉かそうではないかという区別は これは誰が見てももう、明らかな基準になる訳ですね そういう誰が見ても「あ、これを使えば俳諧だね」 「これを使っていないから和歌だよね、雅だよね」と言える そういう一つの目安ですね そういうものを貞徳は考えたんですね これが大きな貞徳の功績になっていく訳です さあ、この『新増犬筑波集』の中には 他にもこんなことも書いているんですね 「にがにがしくもおかしかりけり」と 「我おやの死る時にもへをこきて」「にがにがしくもおかしかりけり」と
4:42 もう説明する必要はございませんね 「へ」というのはおならのことですよ 自分の親が死んだ時にもおならがぷうと出てしまったと 「にがにがしい」と、深刻な場面なんだけれども笑ってしまうというね そういう付け合い これが先程の室町時代の『犬筑波集』の中には入っているんですね 下ネタで笑わせるという、そういう定番の笑いの形な訳ですよね それに対して貞徳はこういう風に言っている訳です 「いかに俳諧なればとて、父母に恥を与ふは道にあらず。」と 俳諧は滑稽の文学だからといって、父や母、つまり親に恥を与えるなんて
5:28 これは人として道、人として踏むべき道ではない という風にお怒りなんですね 「儒道は云に及ばず、仏道にも不孝は戒めたまふぞかし。」と 儒教という孔子の教えですね、江戸幕府が推奨している学問ですけれども それにおいても言うまでもないと、仏様の道、仏教においても「不孝」と 親に対して親不孝をするという、これはもう戒めなさっていることだよと 死ぬ時にそんなおならを出すなんて、そんなんあきません!と 怒っている訳です 「その上此五文字ならでも、人の臨終ににがにがしからぬ事やあるべき。」と この句ではなかったとしてもですね
6:14 人がお亡くなりになったという時に「にがにがしい」と、辛いなとかね そういう感情を持たないということがあるか?と 人が亡くなった時は皆悲しいものでしょう?と 「撰者、何とて引なをして入れざる。」と どうしてこの句を入れたのかなと、この本の中に 「どうして修正して」だね 「引なをして」というのは、訂正してということですね 訂正して入れなかったんだと そのまま何でこんなん入れたんや!というね 「和歌は云にたらず、連歌・はいかいみな人の、教戒のはしとなるやうに、 心得ざるは何の名誉ありても詮なき事なりと知るべし。」と 連歌においても、俳諧においても、和歌はましてやということですね こういう文学・文芸というものは皆の教え戒めの端くれということですから
7:06 それがきっかけになるように、ということですね こういう文学というものは 人々を教え戒める 人々の教えになるようなものでないとダメだということですね そういう風に思って作らなくてはいけないと そういう思いを持たずに作ってですね 何かこうウケたとか言っても、それは詮なきことと つまらないことだ、意味がないことだと いうことを「ちゃんと弁えとかなあかんよ」と いう風に言っている訳ですね ここに貞徳の文学感というのがあると思うんですよね 文学というものは皆の教えにならなくてはいけないよと いう風に貞徳は言っているんですね
7:52 これは貞徳という人が、30代ぐらいから公開講義をして 皆に学問を広める、皆に教えているという そういう皆への教育ということを考えていた ということと響き合ってきますよね やっぱり貞徳という人は、ある意味、教育者であった訳ですね 自分が学んできたことを人々にも教え伝えたい、広めたい そして皆をより良くしていきたいという、そういう思いというものが 強くあった人なんだろうなということが こういうところからも分かってくる訳ですね だからいわゆるですね 文学でこういった人の道に反するようなことは ちょっとよろしくないと思うし
8:37 佐保姫に立ちションをさせるという こういうのもちょっと人道的にもよろしくないということになる訳ですね ということで、自分はそういうことでは笑いは取らないんだと そういう笑いのポリシーみたいなものがですね 俳諧のポリシーというものが貞徳の中であったということですね それでは、貞徳は俳諧というのはどういう風に考えたのかと 貞徳がまとめた 俳諧の幾つかのルールブックみたいなのがあるんですけれども その中で貞徳はこういう風に言っています 「俳諧も和歌の一体也。」ということですね 俳諧というのは室町時代はもう俗なもので 和歌の雅な世界とはもう全然違うものでしたよね
9:23 どちらかというと、和歌が高尚なもので俳諧というのは下なもの という風に考えられていた訳ですね 言ってみれば、この文学のヒエラルキーというものがあった訳です 雅なものが上で、俗なものが下というね そういうヒエラルキーがあったんですけれども そういう低い位置にいた俳諧を、貞徳は「いやいや」と 「俳諧も和歌の一体であるよ」と、この雅のグループなんですよと 雅のグループの一つなんですよという風に言っている訳ですね だから「浅き道とあなどり給ふべからず。」と 「こんなん浅いわ~」という風に、馬鹿にしてはいけませんよと 「末代には其徳和歌よりも広し」と
10:11 末には俳諧だって一生懸命やれば徳というものは和歌よりも広く 皆に伝わるものになっていきますよと それは俳諧というのは庶民もできるものだからと言うんですね だから広く一般にも広がっていく俳諧をやることによって 人の徳というものも広がっていくよと それぐらい俳諧というのはすごいものなんですよという風に 貞徳は考えている訳ですね それでは、和歌の1種類ということになってしまうと、益々 俳諧と和歌はどうやって区別したらいいのということになってくる訳ですね そのことも貞徳はちゃんと言ってくれているんですね こういう風に言ってます 「そもそもはじめは俳諧と連歌のわいだめなし。」と 「わいだめ」というのはちょっとわかりにくいので
10:57 「区別」という風に考えてもらったらいいです 元々の俳諧と連歌というのは区別がなかったんだと その中から「やさしき詞のみをつづけて連歌といひ、 俗諺を嫌はず作する句を俳諧といふ」んだよということですね 元々は俳諧だって、俳諧の連歌という風に呼ばれていましたから 連歌のグループだった訳ですね そこから、こういう風に考えたらいいよと言っています 「やさしき詞」つまり、優美・優雅な言葉ですよね 優美・優雅な言葉を連ねるのが連歌という風に言っている訳ですね
11:47 これが雅の世界の連ね歌になりますよ それに対して俗言というのは、これは俗語ということですね 俗語を使うのが俳諧になるんですよと 貞徳は、俳諧の俳を人偏ではなくて、言偏で書いています どちらも江戸時代で使っていました、どっちも同じ意味です 俗語を使うのが俳諧だよという風に、貞徳はその区別を言葉のレベルですね どんな言葉を使うかという言葉のレベルで区別したと これが非常に、皆分かりやすい区別なんですね 「これは俳諧かな?どうかな?」
12:34 「ではその言葉は和歌で使う?」と聞いた 「ああ使わないな」「じゃあ俳諧だよ」という風にね そういう風に誰でも分かる基準・目安というものを 打ち立ててあげたんですね この俳諧で使う俗語というのは例えばどんな言葉がありますかと 和歌で使わない言葉はどんなのがありますかと言うと、例えば 会話の言葉、話し言葉なんかがそれに当たりますね あと、外来語ですね オランダとかからやってきた言葉なんかも和歌では詠まないですね あとはさっきも出てきた漢語、漢字の熟語、音読みする熟語ですね あとは、流行ソングのワンフレーズとかね そういったものですね
13:21 そういうものは俳諧で使う言葉ですよと それで、こういう俗語達ですね 俗語のことを貞徳は、俳言という風に呼んだんですね 俳諧で使う言葉、和歌では使わない言葉ということで、俳言と 俳言を使うのが俳諧ですよという風に、定義を付けてあげた 皆が分かりやすいように示してあげたんですね これがやはり貞徳の大きな功績です それによって誰でも俳句・俳諧というものを作りやすくなって 俳諧がより皆に広まっていった それで貞徳はそれを非常にオープンに 公開していくというタイプの人でしたから 皆に広めていったということになる訳ですね
14:08 だから、その流れの末端に松尾芭蕉もいる訳です 芭蕉さんもこの貞門の俳諧から学んでいるんですね だからそういう芭蕉が生まれる素地ですね それを作ったのが、この松永貞徳という人になるんですね さあ、貞徳の連句をちょっと見ておきましょう こんな連句があります 『紅梅千句』という貞徳達が巻いた連句なんですけれども、その中で これをちょっと紹介しましょう 「紅梅やかの銀公のからごろも」と 長頭麿(丸)はこれは貞徳のことでしたね 紅梅や、ということで春を詠んでいます、くれないの梅ですね 紅梅は「かの銀公のからごろも」と
14:55 唐衣というのは、中国の着物ですね それで「銀公って何?」と思われますね 銀公というのは、これは漢の武帝のお后のことです ですから、武帝のお后様がお召しになっている美しい着物のようだなと いう風に詠んでいる訳ですね しかも、この武帝のお后様というのは お后様の袖の美しい香りが、梅の花に移って、長くいい香りを留めた というような昔のお話・エピソードなんかも伝わっていたりするので 銀公とこの紅梅というのが関連があるんですね
15:42 そういう中国の故事なんかも踏まえながら、貞徳が春を詠んだ訳ですね 紅梅というものを詠んだ訳ですね ここで俳言は何かと、「俳諧たり」とあるところは何かというと この紅梅というのが音読みしていますね それで「銀公」というのも音読みしていますね この2つが俳言ということになる訳ですね 和歌では使わない言葉を入れて俳諧になっている訳ですね それで、それに今度はお弟子さんの友仙さんが 「翠の帳と見ゆる青柳」と、青い柳がなびいている様子ですね
16:28 それが翠の帳のように見えるなと 一種の見立てになるんですけれども この武帝のお后様、銀公様がお休みになっていらっしゃる翠の帳ですね まるでこの柳が揺れている様は、その翠の帳のようだという風に 付けている訳ですね 美しいですよね そしてこの「翠の帳」という、帳というこれが音読みしていますよね これが俳言になってくる訳です しかもここは前の句にどういう風に連想しているのかなと言うと この翠の帳ですね、翠帳紅閨という熟語と言いますかね成語と言いますか
17:18 これは貴婦人の寝室のことを言うんですね、言葉があります だから、そこの前の句に紅の色がありますよね そこを連想して、翠の帳という風に付けている それで銀公の紅ということで紅閨ですね そこから翠帳というものを連想して付けているんですね だから非常に美しい、しかも俳諧たり得ているんですね それに今度また、お弟子さんの正章さんがこういう風に付けています 「堤つく春の日日記かきつけて」と 「堤つく」の「つく」というのはこれは築くということですね
18:03 堤防を造っている訳ですね 堤防を造っている春、春に堤防を築いている訳ですね それで毎日どれぐらいできた という記録を日記に書きつけているんですね 「日日記」と言っているのはこれは「日記」のことです だから、堤を造っていくという、それを毎日日記に書きつけていますよと そういう春ですよという 全く全然違う今度話を展開させていっている訳ですね それで「帳」面というところから おそらくこの日記・冊子というものが連想されていった訳ですね それで柳が生えているのは堤になりますよね こういう連想の流れというものを持って この句を考えて発想していった訳です
18:50 それで、この中で和歌で使わない言葉は何かというと この日日記なんていうのは和歌では読まないね だからこれが俳言ということになっていく訳ですね こういう風に俳言を入れつつ非常に穏やかですね 先程のあの「佐保姫のはるたちながらしとをして」という ああいう笑いとはもう全然違う 詠んでいる世界そのものは非常に美しい世界ですよね しかし、言葉のレベルで和歌では使わない言葉達を ちゃんと入れていくことによって俳諧としていっているという これが貞徳流の俳諧だったんですね さあ、最後に貞徳のお言葉を見ておきましょう
19:36 貞徳はこういう言葉を言っています これ私がとても好きな貞徳の言葉ですが 「俳諧は、おもしろき事ある時、興に乗じて言ひ出し、人をも喜ばしめ、 我も楽しむ道なれば、治まれる世の声とは是を言ふべきなり。」と 俳諧とは何かというと 俳諧は何か面白いことがあった時に その興に任せて口に出したもんですよと その口に出したことが人も喜ばせると、それで自分も楽しくなると だからこの俳諧というのは 「治まれる世の声」世の中が平和に治まっているという だからこそ、こういう風に皆で楽しめるんだと まるでこれは平和の象徴だという 俳諧ができるという、これはもう平和の世の中の象徴だと
20:25 そしてその中で皆が楽しんでいる 自分だけが独りよがりの笑いをしている訳ではない、訳ですね 自分が言ったことによって、皆が楽しむ、それで自分も楽しくなるという そういう「平和だわ~」という声の象徴なんだよ、という風に 貞徳は言っているんですね これは貞徳さん達が俳諧をしているところ こんなイラストがあるんですけれども、これが貞徳先生ですね それで皆が集って、句を順番に付けていくと この人が記録係になるんですけれども、この貞徳さんのお顔もいいですよね 皆で楽しめると、皆で楽しんでいくのが俳諧なんですよという風に 言っている訳ですね これはやっぱり、貞徳という人はこの生きてきた時代を考えると 貞徳の本当に心からの実感だったと思うんですよね
21:11 もう室町時代が終わって そのあと、信長が出てきて、秀吉が出てきて、家康が出てきてという もう本当にその動乱の時期を生きてきた訳ですね そしてやっぱり徳川幕府になって ようやく世の中が安泰という風になったと だからこそ、皆で楽しめる、楽しもうじゃないかと 俳諧を皆で楽しもうよということで、ルールもちゃんと定めてですね 俳諧は何かというジャンルも規定して そして和歌の一体だよということで、文学史的にもですね ちょっと高い位置に持ち上げてあげて 俳諧が皆で楽しめるものとしたという これがやっぱり貞徳の大きな功績です だからこそ、庶民にも俳諧というものを開いていったということで 今私達が、俳諧・俳句というものを楽しめるというのはやっぱり
22:02 礎を築いたこの貞徳の功績というのはとても大きい、実は人物なんですね さあ、今日はちょっとこの俳諧の松永貞徳という ちょっとマニアックな人物でしたけれども 俳諧においては非常に重要な人物としてですね またこの人が生きてきた時代というのもとても面白い時代でもありますので ちょっと興味を持った方はもっとね 調べていただけたらいいなという風に思っています 読書ガイドがあまりないんですね コアな分野なのであんまりないんですけれども 連歌の雅な世界をもうちょっと読んでみたいという方は 新潮の古典集成の『連歌集』というのが私の中ではおすすめです 島津先生の連歌の解説なんかも、とてもわかりやすくて
22:51 入門書として非常に良い1冊だと思います あと『新編日本古典文学全集』小学館のシリーズにも 連歌と俳諧の両方を楽しめると それで今日紹介した『紅梅千句』もこの中に入っていますから これもおすすめです それで貞徳自身のことですね 伝記的なこととか文学とか、そういうのを知りたいという方は 『松永貞徳 俳諧師への道』という本があります 和歌の方では『コレクション日本歌人選』の中に 貞徳と烏丸光広という二人の人物がピックアップされているものもあります それで貞門の俳諧、貞徳流の俳諧を知りたいという人は 『古典俳文学大系』という集英社の本の中に入っております ですが、注があんまりないんですね
23:37 まだまだ研究をこれからしていく分野ですので まだあんまり注釈が整っていないので ちょっと難しいかもしれませんけれども ちょっと興味がある人は、紐解いてみてください あと、今日はやった連歌・連句というものですね これについて、もうちょっと勉強したいわという方は これはガイドブックが幾つか出ていて『連句への招待』という本ですね これは一番オーソドックスな本です 他に連歌の方ですね 連歌の面白さについて 一般の方にも分かりやすく書いてくださっているのは これは新書の中の『つける』という本があります、これは面白いです あと、連句の実作ですね (連句)をしながら、連句にはどんなルールがあるのかというのを
24:24 学生さんに連句を作らせて その中でルールを学んでいった記録みたいな本なんですけれども 『連句の教室』という、これも新書にありますので こういったもので連歌とか連句というのがですね 連歌と連句と言っていますけれども、雅な句を付けていったら連歌ですね それで、普通に句を連ねていくのを連句という風に言います あんまり区別はないんですけれども、そういった本が出ていますので こういうものも、是非興味のある方は見てみてくださいね それでは今日はここまでにします お疲れ様でした