哲学の世界 02

簡単な概要

この講義では、哲学とは何かという大きなテーマに取り組み、特に「魂とは何か」という問いを中心に議論を展開します。野田宣雄の哲学の3つの伝統を参考に、魂の概念を掘り下げ、古代ギリシャ哲学、インド哲学、中国哲学における魂の捉え方を比較検討します。また、哲学、宗教、科学の関係性についても考察し、哲学が直面するジレンマについても議論します。

  • 魂の概念の歴史的変遷と文化的差異を理解する。
  • 哲学、宗教、科学のそれぞれの立場から魂を考察する。
  • 哲学が直面する客観性と主観性の間のジレンマを認識する。

哲学とは何か:魂をめぐる考察

哲学の世界第2回目の講義では、「哲学とは何か」というテーマについて、特に「魂とは何か」という問いを中心に議論します。

魂の定義と語源

魂の定義を言葉の語源から探ります。ギリシャ語のプシュケ(息、呼吸)が、心理学(サイコロジー)や精神病質者(サイコパス)といった言葉の語源になっていることを説明します。また、ラテン語ではアニマとなり、動物(アニマル)やアニメーションといった言葉に繋がっていることを解説します。魂は、生きているものを特徴づけ、死によって失われるものとして捉えられます。

魂と生命

魂は生物にあって無生物にはないものであり、生物を内側から動かすもの、つまり生命とほぼ同義であると説明します。しかし、植物の動きを例に挙げ、植物にも魂があるのかという問いを提起し、受講者に考察を促します。

映画とドラマにおける魂の入れ替わり

映画『転校生』やドラマ『パパとムスメの7日間』を例に、魂の入れ替わりというテーマが取り上げられます。これらの作品を通して、魂とは肉体が入れ替わっても同一性を保つものであり、その人がその人であるための根拠、つまり自己同一性の根拠であることを説明します。

野田宣雄の哲学の3つの伝統

野田宣雄の著書から、哲学、神話、宗教の区別について解説します。神話や宗教が魔術的な儀式や劇的な解釈を用いるのに対し、哲学は理性的な反省を重んじ、論理や推論、言語を用いて物事を理解しようとします。紀元前6〜7世紀頃に、ギリシャ、インド、中国で同時に哲学的な伝統が生まれたという興味深い事実を紹介します。

哲学の3つの伝統の変遷

古代ギリシャ哲学がキリスト教に取り入れられ、スコラ哲学として発展し、大学で教えられるようになった経緯を説明します。デカルトやニュートンといった哲学者たちがスコラ哲学を学び、自然科学を発展させたことを紹介します。一方、インドや中国の古代哲学は、15〜16世紀頃に停滞し、西洋文化の影響下でその伝統が途絶えてしまったことを解説します。

西洋文化の影響と科学の誕生

19世紀以降、西洋文化が世界に大きな影響を与え、産業革命の原動力である科学が発展しました。古代ギリシャ哲学に由来する伝統が科学に力を与え、客観性を持つ知識としての科学が誕生しました。哲学と科学は元々同じ源流を持つものの、次第に分離していったことを説明します。

3つの伝統に共通する問い:魂とは何か

古代ギリシャ、インド、中国の哲学に共通する問いとして、「魂とは何か」が挙げられます。ジャイナ教や仏教、中国の陰陽五行思想における魂の捉え方を紹介し、それぞれの文化における魂の概念の違いを明らかにします。

古代ギリシャ哲学における魂:プラトンのパイドン

プラトンの著作『パイドン』を参考に、ソクラテスの魂についての議論を紹介します。ソクラテスは、哲学者は死を練習する者であると述べ、魂が肉体から解放されることこそが知恵を得るための道であると主張します。

ソクラテスの無知の知

ソクラテスの「無知の知」について解説します。ソクラテスは、自らが無知であることを自覚しているからこそ、真理を追求できると主張します。知識人との対話を通して、彼らの知識が表面的なものであることを明らかにし、真の知恵とは何かを問いかけます。

ソクラテスの死刑とパイドンの議論

ソクラテスが国家によって死刑宣告を受け、その執行までの間に弟子たちと哲学的な議論を交わした様子を描いた『パイドン』の内容を紹介します。ソクラテスは、死とは魂が肉体から分離することであり、哲学者は魂を肉体から解放するために死を練習すると主張します。

魂の不死

ソクラテスは、魂は肉体を離れても存在し続けると主張し、霊魂不滅を説きます。彼は、この世のあらゆるものは対立するものから生じるとし、生と死もまた相互に生じると論じます。死者がいなければ新たな生は生まれないため、魂は死後も存在し続けなければならないと主張します。

ソクラテスの議論に対する違和感

ソクラテスの議論は論理的でありながらも、どこかおかしいと感じる理由について考察します。それは、私たちが科学的な立場からソクラテスの議論を聞いているためであり、魂の存在を前提とするソクラテスの主張と、科学的な世界観との間に矛盾が生じるためです。

科学における魂:意識

科学において、魂に対応する概念として「意識」が挙げられます。意識は生物を内側から動かし、自己同一性の根拠となるものであり、古代ギリシャにおける魂と同様の役割を果たします。しかし、科学は意識を脳内物質の活動や生態反応に還元し、肉体から離れて存在することはあり得ないとします。

科学と哲学における魂の捉え方の違い

科学は、目に見えたり触れたりできるものだけが存在すると考える実証的な立場を取ります。一方、哲学や宗教は、目に見えないものや触れられないものも存在すると考え、天国や霊魂、念といった概念を認めます。

哲学のジレンマ

野田宣雄の議論を参考に、哲学は世界観や人生観の形成という要求と、理性的な学問であろうとする要求という、ある種対立する2つの要求を抱えていると説明します。哲学は、高度な論理性を要求される一方で、人生の意味や世界の捉え方といった、非論理的な信仰や決意を表現しようとすることもあります。

まとめ

哲学は、神話が語っていた世界観や人生観を、理性的な技術や道徳によって置き換えることを試みます。紀元前6〜7世紀頃に哲学の3つの伝統が生じましたが、19世紀以降に影響力を持ったのは古代ギリシャ哲学の伝統でした。哲学は、客観的な科学であろうとする要求と、人間の生き方や世界の捉え方といった世界観や人生観を追求しなければならないというジレンマに置かれています。

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0:00 はいえ皆さんこんにちはえっと哲学の世界 を担当しております小林拓也ですえ よろしくお願いしますえ今日はですね哲学 の世界第2回目ということでえ早速え話を えっと進めていき ましょうでは早速始めていきたいと思い ますえ第2回目のテーマはですねえっとま 哲学とは何か非常にま大きいタイトルが ついておりますがまえっと今日はですねね あらかじめえ野田のえっと哲学の3つの 伝統えからえ抜粋した文章をま皆さんに 読んできていただいてまえっとそれに即し てお話をしていくということになり ますでえっと今日まお話ししたいえっと

0:48 こ柄なんですけれどもえっとですねまず この魂とは何かということについてま皆 さんと一緒に考えてみたいと思うんですね あまりね普段その魂とは何なのかなんて いうのはえ考えたことはないかもしれませ んねえしかしま哲学においては非常にこの 魂というのはあのあるえ重要な問題を抱え ていてですねいろんな哲学者が議論してえ 考えたりしておりますえまずはちょっと魂 とは何なのかということをえ軸にお話をし ていこうと思いますはいで魂とは何なのか えということをでまずまえ言葉の定義から 考えてみましょうえ魂というのはま自称を

1:36 ね引いてえっと見ますとまあのその語言と してえギリシャ語から来ているというのが 出てきますえギリシャ語で魂というのは プシュケという風に言いますであのそう 元々プシュケというのはあのえっとこの息 白息のえことをプシュケという風にま元々 ギリシャ語ではプネウマという風に言うん ですけどもあのそこから来ておりますえ 白息のことを意味しておりましたあの キリスト教の旧約聖書というのがあります で旧約聖書では神様がですねあのこの世界 をどのように作ったかえー光やれという風 に言うと光ができえそして土をえようと

2:24 いうえっと草をえようというとこ草が 生えるという風にしてこの世界を作りした という話がま出てくるんですけれどもま その中であの神様がですねある日この土を こうこねてですねえっと自分の形にこう えっとこう形成するんですねこの土をねえ そしてえま最後の仕上げとしてそのえっと その土くれでできた人形ですね言わばねえ それの鼻からえこの息を吹き入れるとえ その土くれにま魂が宿りですねえそして それが人間になるとえいう話が出てきます でこれが要するにアダムという風に名付け てえまこれが要するに人類の1番初めの えと存在であるとえいうそういう話が出て

3:10 くるんですねでその時にこの土くれにこの 神様がこうふっと息を吹きいれるこの息の ことをプウという風に言いますでこれが 要するに魂という言葉の元々のえ使われて いたえっと意味なんですねでえそこから考 えますとあの例えばプシケという言葉はま 英語のえっとサイコロジーとかまえっと サイコパスサイコロジーっていうのは心理 学ですねでサイコパスってのはまえ人の この気持ちとか感情とかあまりこのえっと 理解できない人のことサイコパスという風 に言ったりしますけどもそういう風に えっとサイコロジーとかサイコパスという 言葉のま頭についてるこのサコという

3:56 ところこれが要すにプシコと読めますそこ にまプシュケという言葉が巻きている えーま要するにえっと心の問題え心につい てのえっと事柄心理学だあるとかえサイコ パスであったそういったものを表す言葉の 頭についているのがこのプシ刑という言葉 であるという風に言うことができ ますはいえギリシャ語のこのプシケがです ねラテン語に翻訳されてえアニマという 言葉になりますででこのアニマという言葉 がついている言葉えというとまこの動物を 意味するアニマルとかえあるいは アニメーションですねあのという言葉にま

4:42 繋がっていくということになりますま 要するにアニマえアニマルえっと動物って いうのはまあなんかこのえっとなんかなま こう内側からこういう風にま機械と違って ね機械はま外側からこう人間が操作したり とかすることで動くわけですけども動物 っていうのは自分のえっと内側からこの えっとなんいうかなこの運動をするそう いう能力を持ってるのがえっと動物ですし アニメーションというのもまそのもその 元々静止がなんだけどそれがこう動いて いるようにえ見えるえものを アニメーションという風に言うわけですね そういった言葉にこのアニマという言葉は 使れ使われているとえいうことえがわかり

5:28 ますまあ要するに魂っていうのはですねま 一本にこう生きてるピンピンして生きて いる人がいますでまその人が何らかのえ形 でこうま死んでしまったえ死体になって しまったえそうするとえ動かなくなるわけ ですねえとすると魂っていうのはこのあの 生きている人がこう死んだ時にあのその 死んだ人の中からふわーっとこう抜けて いってえしまうものこれをま要するに魂と いう風ににま呼ぶわけですねはいでこれら からま分かるその魂とは何なのかという ことを考えてみるとまず1つ目に分かるの はまえ魂というのは生物にあってえ無生物

6:16 にはないものであるという風に言うことが できますつまり魂というのはこの生きて いるもの生物をこう内側から動かすもので あるとえいう風に言うことができますなの でま言い換えるとそれは例えば生命という 風に呼ばれるものとえっとイコールである という風にえ言うことができますねしかし ま生物にあって無生物にないのが魂である とえその内側からね動かすものがえっと魂 であるから無生物にはないんだという風に え言うことができるわけですけれどもです がま考えてみるとあの植物だってねあのま 皆さん見たことあると思いますその植物を この長回しでずとえ捉えていると日中結構

7:02 動いてるんですよね植物ってねその太陽の えっと方方向に向かってこう動いたり あるいはあの えっとねあのひりのこの成長する映像とか 見たことあるかもしれませんあれを見て みるとそのもう1日でぐっ動いているわけ ですねそれ早回しでするとぐっ動いてる ようにそうするとま無生物であるその植物 だってえそういう風にこうち我から動いて いるわけですからじゃあえ植物にも魂が あるんじゃないか生命があるんじゃないか という風にえ思うわけですねなのでえ じゃあ果たしてこう植物に魂はあるのか どうかっていうのはちょっとま皆さんの方 でねえっと時間が時間がある時に考えて

7:49 いただければいいと思いますがままず魂と いうのはま生物にあって無生物にはないえ 生物を内側から動かすものが魂だあという 風に言うことでき ます続いてえっと2つ目えの魂とは何かと いうことをさらにこう考えていきたいと 思うんですがここでちょっと1つあの映画 をねえっとちょっと紹介したいんです けれどもあのま天校生という映画がござい ますもう1982年ですので僕が生まれた 年ぐらいのものなのでももはやもうもう もう相当昔の映画ですのでま皆さんご存知 ないかもれません大林信彦監督のえ転校生 という映画がありますであのま小林里主演

8:38 えでおさんがまこの男の子えま中学生です ねえっとこの2人が中学生男女なわけです けどもまこの2人がですねあの長いこう 階段をですねこう上からこう2人がこう 転げ落ちてしまうとそうするとこの2人の 中身がこう入れ替わってしまうという話な ですねえ結構この魂がこう入れ替わって しまうという うんと話ってあの小説だったり映画だっ たりまアニメだったりいろんなところで見 られますねでそういう時にま魂というのが やっぱり問題になるわけですこの場合はえ 男の子と女の子の要するに中身がこう 入れ替わってしまうまそこで言われてる

9:24 中身っていうのはやっぱりその人の魂です よね魂が入れ替わってしまうそこで色々 問題がえ生じるえというのをま面白 おかしく描いたのがまこの天候生という 映画なんですねはいこれもま要す魂という ものまあるし問題にしているという風に 言うことができ ますであのもう1つあのドラマがありまし てでこれはあのパパと娘の7日間という TBSのこれもまあもう2007年なんで 古いあのドラマなんですがま個人的に ちょっと僕は好きだっていうこともあるん ですけもあのこの えっとドラマはですねまこれも要する魂が 入れ替わっちゃうんですねでえっと主演が

10:10 あの荒がきゆいえっとガキででもう1つ もう1歩の主演がま立ひしえこの男の男性 えの俳優さんですねでこの2人がま親子な んですでこの親子の中身が入れ替わって しまうっていう話なんですねあの ま先ほどのね天校生の場合はまえっと男女 ではあるけれどもまえっとお友達ではある けども要するに他人の2人が入れ替わって しまうしかしまこちらはま父親と娘の中身 が入れ替わってしまうま要するに男女え プラスその家族え父子という関係がまた 入ってきているのでまより一層まその関係 性が複雑になってより一層面白くなるとま

10:58 そういうことが言えると思思いますまあの ま話のまあの筋はえっとま皆さんね Wikipediaとかで調べて いただければいいと思いますがどういう話 かと言うとまあの要するにえ立ひしが父親 なんですねでまちゃんと会社でま偉い役職 についていてえ仕事はバリバリできるわけ ですえでそれま娘がガッキーがいるわけ ですでガッキーはま高校生ですねであの まあ高校生のまえっと女の子にえっとある あるだと思いますま父親のことがねの子春 期でもうなんか煙煙たいというかえもう なんか一緒にねあんまりいてほしくないと いうかまそういうま子春機にこう

11:43 差しかかったえま娘役がこの楽器なわけ ですねでこの2人がこう入れ替わって しまうとえいうことになるわけですでま あのガッキーがねその立ひのま中身になっ てねまだから女子高生中身は女子高生な わけですねだけど会社でこうあのねえ働か ないといけないでいろんなこう会議とか する中でこうね女子高生っぽい喋り方をし ちゃってなんか周りから魚とされるとかま そういうのがあったりするしで立浩司の方 も中身は楽器ですからあのそのね仲良く なった男の子とデート行ったりするわけ ですでも中身は父親ですからまその心情は まあねえ非常にえなんというかなあのま

12:30 ドギマギしてしまうというかなんかねあの いろんな感情が芽生えるとえいうのが いろんな問題を起こしてしまうというのが ありますねでまあのま元々ねやっぱ子春期 に差しかかってこうギシしていたこの2人 ではあるんですがま中身が入れ替わってま ガッキーもですねえ父親になっていろんな その会社の人たちとね関わる中でま お父さんが非常にこのあのみんなから慕わ れていたりとか重要な社会的な役割を 果たしているというのをま自分で実態験と して知っていってだんだんこの父親のこと をまえっとなんていうかな理解していくっ ていうことになるしでえ父親の方ももう何 を考えてるか分からない娘だったけれども 自分がこの娘のね姿になっていろんな友達

13:18 とこうやり取りしていく中でま自分が思っ ていたよりもまちゃんと成長していてえ いろんなことを考えているんだなというの が分かっでこの2人がまあ徐々にこの和解 していくというかまそういうま話になって いるわけ ですはいでま結果最終的にどうなるか みたいなのはま皆さん何らかの手段でこの まドラマ見ていただけるといいと思います 面白いのでね見て見ていただけるといいと 思うんですがで魂ということに えめぐめぐってねちょっとこのえっとパパ と娘の何日間をちょっとえ手段にね考えて みたいと思うんですけれどもはいええ 要するに魂というのはその肉体が

14:05 入れ替わっても魂は元のまま同じであると いうことが言えると思い ます要するに立ちひしとえガッキーのま 肉体がこう入れ替わるわけですねで肉体が 入れ替わっても魂は元の人のままなわけ ですねそ楽器がえっと立ひしの肉体にこう はえっと入れ替わってえ立ひしの見た目に なっても中身はガッキーのままであると いう風にえ言うことができるわけですねで これねもしね要するに立ひとガッキーがい てこの中身が入れ替わってしまう魂が 入れ替わってしまうで魂が入れ替わった

14:53 瞬間にその肉体と同じ魂になってしまっ たらこれ困るわけです ね立ひしとガッキーの中身が入れ替わって その立ひしの見た目で立ひしの魂になって しまったらこれただの立ちひしですよね ただの立ちひしがあの立ち回ってるだけの 話になって別に何も面白いわじゃないこの 話が面白いのはえ要すに肉体がこう 入れ替わっても魂が元のままであるから見 た目は立ちひしなんだけど中身が楽器だ から面白いわけですねはいえ魂っていうの はえ肉体が入れ替わっても同じままで なければならないということが言えますえ ということは魂ってていうのはま要するに

15:38 その人がその人であるための根拠になって いるっていうことですつまりえ私はえ私の 魂っていうのは私が私であるっていうこと の根拠になってるわけですねこれはだから 肉体が入れ替わっても私のままとえいう ことが言いますえつまり魂っていうのは ちょっと難しい言い方ですがえ自己同一性 の根拠である私が私であるえための根拠に なっているということですねだから皆さん も皆さんには魂がありその魂がま皆さんが 皆さんであることの根拠になっているとえ そういう風に言うことができます魂という のは自己同一性の根拠であるとえいう風に 言えるわけですねはいその人が紛れもなく その人であるためのある種の本質である

16:25 これが魂だという風に言うことができます さてえ皆さんがえあらかじめ読んできて いただいたテキストえ野田をえ哲学の3つ の伝統岩波文庫からのま抜粋ですえ野田と いう人はまえ日本の哲学者でま兄弟の先生 だったんですけどももうあのえっと戦後の え人ですけれどもももうあの亡くなって えっとおりますはいえっとこのま哲学の 伝統からえね抜粋したテキスト皆さん読ん できていただいてえおりますえそれの内容 をねちょっとえポイントをねえちょっと 確認していこうという風に思い ますこちらのえっと本のポイントとして1

17:13 つまずあげられるのがその神話というもの 宗教というものと哲学っていうのはこれは 区別されるものですよとえいうことが えっと書かれておりましたつまり神話とか 宗教というのはまあいわばえっと魔術的な 技術えごめんなさい魔術的な儀式を使っ たりあるいは人間の運命について非常に こう劇的なドラマチックな解釈を施すのが 神話とか宗教であるという風に言うことが できますはいえっとキリスト教のね先ほど 話しましたけれどもキリスト教というのも まえなんて言うんですかね人類がどのよう に誕生したのかということをまえっと説明

17:58 したりああるいは人間が死んだとどういう 風にえっとま死だとねえー人間の魂がどう いう風になってしまうのかということをま えっと説明したりするわけですねはいえ そういった人間の運命について非常に劇的 な解釈をしたりあるいはまいろんなえっと 儀式を行って えなんてかな儀式を行うのがこの神話とか 宗教であるという風に言うことができ ますはいでこれに対してま学問としての 哲学というのはえっとこれはその魔術的な 儀式を行ったりすることはありませんで その代わりに何をえっと用いるか何をする かと言いますとこれはま理性的な反省を

18:46 行うのだという風にえっと野田はえっと 書いておりますえ理性的反省というのはま 人間の理性によってえあらゆる物事を解釈 するということを行うわけですですねで えっと哲学というのはえっと論理とか水論 とか言語そういったものを用いて物事を 理解するえこれが哲学であってえっとこの 神話宗教というものかはからはこう 切り離されますよということをえっと指摘 されているわけですねでもこう神話とえ 宗教的なものと哲学的なものてなんかあの 一般的にこれなんか似たようなものなのか なという風に思われがちなんですけども えっとこのの2つは引っ張りと区別される んだということがまずえこの本では述べ

19:33 られております続いてえ2つ目のポイント になりますえ不思議なことにですねえっと この紀元前6世紀から7世紀あたりにかけ てえ異なる地域でえっと哲学的な発想と いうか哲学的な伝統というものがあの3つ 同時に生じたんだということがこの本では 言われおりますで え全くね交流がない全然違う地域であるに もかわらずま同じような哲学的な発想と いうものがま同時にえ生まれるわけですね でその3つってのが何なのかというと1つ 目がえギリシャえ古代哲学の諸学派である

20:19 で2つ目がえインド古代の諸学派仏教とか ジャイナ教で3つ目がえっと中国真住戦国 時代の諸学派まいわゆるえ諸子百家という 風に呼ばれるものですねこの3つがなぜか このえっと同時期にこの発生したという風 に言われておりますまえっとなぜこれらが えっと同じ時期に生じたのかっていうのは まえっとま正直なところ分かっていない わけですけれどもえですがま偶然この3つ が同時に生じてという風に言われておりで これがどういう風な伝統を辿っていくのか ということが説明されるわけですね はいでこのま3つの伝統がどういう3つの

21:06 哲学がどういう風にこう流れていくかえと いうことをまあ1つこの図で表しておき ましたまずあの古代ギリシャに起きたこの 哲学というものこれは あの大体12世紀頃になってですねあの キリスト教に導入されることになりますえ 要するににキリスト教がですね自分のその 協議とかえつまりかそのキリスト教えなん というかなえ要するにキリスト教の考え方 ですね神がどのように世界を作ったのかと かあるいは神という存在は何なのかという ことをま考えたり説明する時にその古代 ギリシャの哲学者が考えていたえ発想とか

21:51 概念とかをまキリスト教の中に持ち込んで そのキリスト教を体型化するということを 行いましたこれが大体12世紀から13 世紀あたりのえっと出来事ですでこれが えっと大えっと徐々にこう体型化されて いってスコラ哲学というものになりますな ので人々はこのスコラ哲学を学んでですね まキリスト教の進学をま勉強したりとか あるいはえこのスコラ哲学をもに色々数学 とか物理学とか天文学とかあるいは医学と か法律とかえそういったものをこうえっと 学んでいくということことになりますえ このスコラ哲学をえっと教えていたのが 要するにキリスト教母体にする要するに

22:37 大学とえいうところになるわけですね体 この12世紀から13世紀にかけてこの 教会を主体にえっとキリスト教が母体とし た大学というのがえイタリアのボローニア であったりオクスフォードであったりそう いったところにこうできてくるとでそこで 人々がスコラ哲学を学んでいくわけですね なのでえっとまこのえっと講義でも出てき ますえっとデカルトという哲学者であっ たりねえあるいは皆さんご存知ニュートン であったりえそういった人たちもこの スコラ哲学を学んでですねあのいろんな 哲学とかえまいわゆる自然科学のもを発展 にこう起用していくというのが大体15 世紀から16世紀になるわけですねはいで

23:26 このスコラ哲学の元えスコラ鉄学をま 教えるその学校がいわゆるその大学という ものになってえいくわけですねこれまで これスコラというのはえま要するに スクールの言葉の元々の言葉ですからま いわゆる学校という言葉にまえっとなって いくえそういう言葉ですねはいでこの要す えっと今お話ししましたこのスコラ哲学を 学んだ人たちがえ色々自然科学ないしえで あったりあの法律であったりあるいはえ いろんなえっと科学技術の開発をえなんて いうかな発展させていくこう基礎を作って いくわけですねなのでこのスコラ鉄学はま

24:12 いわゆるまうんと ヨーロッパになんと言うかなそのキリスト 教がどんどんえっとこうえ発展していって でいろんなもう世界中をこのキリト教が こうね選挙師がどんどんえ渡っていって このうん広めていくのと同時にまそういう ま西洋文化っていうのをどんどんこう えっと広めていって世界をこうどんどんま あるしこう支配していくわけですねでその 中で色々その科学が発展しそしてその中 から産業革命が生まれえそしてそのえっと 技術を使った軍事的なえっとえなんてかな 技術がえ発展しえそして生産技術が どんどんあの生み出されということでま あるこのヨーロッパ文化っていうのが どんどん世界をこ支配しいくというのが

24:59 大体19世紀になってえきますでえっと その中からまいわゆる私たちがえ考える 客観性を持つ知識である科学というものが 生まれてくるこれはま大体19世紀後半 あたりからえその専門文化した科学って いうのが出来上がってくるわけですねで えっとこれとま並行してそこからこうま うん科学からま分離されるものと区別さ れるものとしてまいわゆるえ哲学私たちが こう大学とかでね今皆さんが勉強してる ような哲学ってのがまえっとできてくると いうことになりますはいなので哲学と科学 っていうのはま実は元々はま同じであると ギリシャの古代哲学からスコラ哲学に入っ てそれがヨーロッパ中をまえっとキリスト

25:47 教の電波と共にえ広がっていったその中に え科学と哲学っていうものがま元々含まれ ていたわけですからえ元々は一緒であると いう風に言うことができるわけですなので 先ほどちょっとえっとちらっと出てきまし たあのニュートンなんかはえもちろんあの この科学というものがえね出来上がる以前 の人ですからえ彼は自分がやっていること は哲学であるという風に理解していました しえ彼自身自分のことをえエ フィロソファーである哲学者であるという 風に言っていましたも要するにそれまでは サイエンティストというえ言葉はありませ んからえ自分はもうフィロソファーである 哲学者であるという風に言っていたという

26:35 風に言われており ますはいえこういう風にですね古代 ギリシャの哲学っていうのはどんどんこの え伝統をねうんとつげていって現代にまで 至っているわけですけれども残念ながら インドの古代哲学とまこの中国春二戦国 時代のえっと哲学っていうのはあの途中で あのその伝統が終わってしまうという風に えっと言われておりますえインド古代の 諸学派っていうのは大体15世紀16世紀 あたりに停滞してしまってでもちろん インドえごめんなさいえっとイスラム文化 権え西洋文化によってこう支配されること でまそのまえっとそこでも止まってしまう わけですね止まってしまうでさらにも中国

27:20 真住戦国時代のま諸学派もこれはインド 仏教をま学に導入したりしてまこう展開し ていくわけですけどもでそこでま新たな 受学っていうのが出来上がりますしかしま えその伝統もここでえっととえるというか まそこでまとまってしまいですねそれ以上 この進展することがなかったという風に 言うことができるわけですえっとこの本の ポイントの3つ目ですけれども要するに まあ19世紀からま西洋文化が非常にこの 世界中で影響力を及ぼしてきたとえいう ことが言えますえつまり産業社え産業革命 の言動力である科学というものにま古代 ギリシャの哲学由来のですね伝統がこの

28:06 えっと力をえ与えていったということに なるわけですねはいえそして元々はま えっと自然学うんま自然をま観察してま 自然のこの動きとか運動というものがどう なっていたのかっていうことを考えていた のがま哲学者たちだったわけですけども そこから客観性を持つ知式である科学へと こう流れていくまそういうことでえっと 古代哲学うん古代のギリシャの哲学だけが この伝統としてえ現在にまで残っていたと まそういう風にえっと言われております これまでえっとこの3つの伝統についてま お話ししていきたわけですけどもこれら3 つのえっと伝統に共通する問いっていうの

28:54 があるんですねでそれが何かと言いますと これが要するに魂とは何なのかという問な わけですギリシャの古代哲学についてはま えっとこのえっと講義でお話ししますので ま後で説明いたしますえインド古代の諸学 派であるまジャイナ教と仏教というのが ありますけれどもえジャイナ教はですね えっと霊魂というのはえっと動物人間神々 の状態というのをこの輪廻するんだという 風にま主張するわけですねあるいは仏教は え一切の存在が空である無常であるという 風に言いますなのでえ霊魂の存在っていう のはこれは否定するわけですねそんなもの

29:41 は存在しないえ一切は食うですえ無です からはいえっとなのでえっと人間はですね いろんな自分のよえっとま常念とか欲望 みたいなものをこう滅却してですねそ 要するに無がの境地要するに我がないと いう状態にま至らなければならないという のがま仏教の考え方ですえーまここでも ですね要するに魂は存在しないという否定 の仕方ではありますけども魂というものが 問題になってるわけですねはいえジャイナ 教仏教においてもえ魂というものが問題に なっているということが分かると思い ますはいで中国真中戦国時代の諸学派諸子 百家と呼ばれるえっとものにおいてはこれ

30:27 はあの引用五行思想というのがありますえ これはですねあの用のレキこれがま魂に あたるまコンと呼ばれますえそしてイの レキでありますえ白と呼ばれるこのコン白 思想というのがあるんですねこのコと白と いうまどちらもまこのえっと魂なわけです けどもこれがまえっと世の中を司りそして まえ人間の体だけじゃなくてねえっと 世の中も司っているというのがま語業思想 というものですでこの魂はえ肝ですね肝臓 とかそういったものに宿ってですねこ人間 の成長を司るえそれえそしてこの心を コントロールするのがこのコというもので

31:13 あるでそれに対して白というのはま肺に 宿ってですねえ骨格を作ってえ感情の乱れ を引き起こすんだという風に考えられる わけですなのでえっと重要なのはこのコと 白のまバランスが重要なわけですねはい えっと2つがまえっとどっちかがこう エスカレートしてしまうとえなんていうか なえねその感情の乱れがどんどんどんどん エスカレートしてえいってはダメなわけ ですねだからえこの根によってこの心を 制御するコントロールするっていうこと やってまうまくバランスを取ることが重要 であるという風に考えるわけですこれがま えっと中国春龍戦国時代のええっとま諸学

31:59 派と考えていたことですここでもやはりコ と白というまこの魂が問題になってるわけ です ねはいではじゃあこのギリシャ古代えの 哲学においてえっとこの魂というものが どういう風に扱われているのかっていうの をま見ていこうという風に思いますはいえ 古代ギリシャ哲学のまこの魂についてうん お話ししていく上でまあの今日はですね プラトンという人が書いたパイドンという 本があるんですねはいこのパイドンという 本はまえタイトルにですねま魂の不死に ついてという風に書いておりますので まさにこの魂とは何なのかということに ついてま書かれている本なんです

32:44 ねで あのま皆さんも哲学者という風に聞いてま パッと名前が上がるえ人としてはえここに ちょっと顔が出てますまソクラテスという ま人物がま頭に浮かぶかもしれませんこの ソクラテスという人物は紀元前469年頃 にえっと生まれて紀元前399年頃えっと までえっと活躍していたま活動していた えっと哲学者であるという風に言うことが できますであのプラトンというのはこの ソクラテスのまお弟さんでこのまプラトン がですねあのま色々ソクラテスがどういう 活動をしていたかどういうこといたかって いうほどこうこの執筆してえま1つの作品

33:31 に残しているわけですねはい えでソクラテスはま哲学者なんですがま あの彼はですねまあ1冊もこの本を書か ないえ文章を書かないま要するにま ソクラテスの考え方としてはこの心理と いうものはこの文章に書き起こしたりね そういったことができないものであると いう風に考えておりましたのでえ ソクラテスは一切本を書きませんでしたな のでまプラトンというま弟子がですねえ ソクラテスについて書くことによって 私たちはえそのソクラテスがどういう人物 であったか何を考えていたのかっていう ことをま知ることができるわけですねはい なのでまプラトンがいなかったらね ソクラテスの考えは現代にまで残ってい ないという風にま言うこともできますね

34:18 はいでソクラテス自身は何をしていたかて 言うと彼はですねあの街中あのギリシャの え街中をこうえ練り歩いてですねでそこら 辺にいるこの若者をね捕まえてですね色々 こう哲学的な議論をぶっかけるえことをま えとメインにあの活動していたま人物なん ですねであのソクラテスはですねあの哲学 者っていうのはえ死ぬことを練習するもの であるとまいう風に言っておりましたで これについてはちょっと後でね出てきます のでえ説明しますえあるいはまソクラテス のえ考え方を表すものとしてあのま無知の

35:05 地というのを聞いたことがあるかもしれ ませ ん要するにですねあの世の中にはいろんな 専門家の人がいるあるいはま自分はこう 知識を持っているということをま自覚して ですねえあるいは自覚するだけでなくこう 知識をひけらかす人たっていうのはま 世の中に色々いるわけですねま現在におい ても同じだと思いますでええソクラテスは そういう人をこうとっ捕まえてですね色々 こう哲学的な問答をま吹っかけていくわけ ですねえっと例えばですねま法律に詳しい ま弁護士のような人た人がいるとし ましょうま法律家のような人がいるとし ましょうでそういう人たちをまえっと ソクラテスが捕まえてですねま例えばあの

35:50 なんていうかなえオタクはこう法律に 詳しいというけどこういう時にはえっと どういう権利がええっと重要になるのかと いうこととかをねこう色々こうえっと疑問 をふっかけるわけですまそうするとまその 法律に詳しい人はあこの場合はこういう風 にしてこういう法律があってこれが適用さ れますよとかまこう説明をするわけですね そうするとそこらてさらに色々こう質問を していくわけですでこの質問をどんどん 繰り返していくともう究極的にですね法律 とは何なのかとかあるいはなぜ法という ものは存在するのかとかなぜ法は法に法律 にですね人は従わなければならないのかと いうま要するに答えられないような質問を

36:38 どんどんこのソクラテスが繰り出していく わけですねでそうすることによって今まで 自分は知識があると思っていた法律家の人 たていうのはま自分が知っていた知識って いうのが非常にこう表面的なもので根本的 なえ根本的に法がなぜ必要なのかとかなぜ 法というものが存在するのかというそう いう根本的なところを自分は知らなかった んだということがま自画されてくるわけ ですねえそういう風にえ人がこの持ってる 知識っていうものがえいかにこの表面的で ありで本当の知識でないかっていうことを ソクラテスはそういう風にこのえ問答を 繰り返すことによってもう明らかにしてい

37:24 くっていうことをするわけですはいで えっとソクラテス自身はですねあのい 要するにその知識を持ってる人達てのは 自分が知識があるんだっていう風に 言いふらしてるわけですけどもだけどこう いう風に自分がねえっと色々問答を 吹きかけると実は自分が知らないっていう ことが明らかになるわけですえでそこら です自身もえっと私は知識というものが何 なのかってことを知らない知らないから こういう風に色々疑問を吹っかけているん だという風に言うえそして私は自分が知識 を持っていない自分が無知でいう無知で あるということを私は知っているんだと いう風にえ言うわけですねそれがま自分は もの知ってるんだっていう風に考えてる人

38:11 たちはえ自分が無知であるってことを知ら ないだけど私は自分が無知であ るっていうことを知っているんだという風 に言うわけですでこれをま無知の地という 風にま言うわけですねはいえソクラテスは そういう風にえっと知識人をね相手に色々 こうを繰り返すことでま相手が無知であ るっていうことは明らかにするとまそう いう活動をましていたわけですでですねま そういう風にいろんなこの知識を持ってる 人たちにこう議論を吹っかけてあのあなた は無知ですよっていうことをま えっとなんていうかな えまやっていくわけですねはいまあなんか 迷惑系YouTuberみたいなことをし てるわけですけどもですがまあのま要する

38:57 にまそういう風にやっているとまいろんな 人を敵に回していくわけですね多くの人を 敵に回していくわけですで特にですねその ギリシャの政府がありますね国家があり ますねでえからするとまそういうなんと いうかな え人をねそそのかしてえなんかなんて言う かないうんと人をそそのそ言いまかして ですねそそのかすようなえことをやってる このそっていう人物はやっぱりちょっと あの異分子というかあの目の敵になって いくわけですね要するに邪魔な存在になっ ていくわけですなんならね一生懸命働こう としているねこの若者を捕まえて働くこと に何の意味があるのかということをま

39:43 えっとふっかけるわけですからえ働くこと に意味なんてないんだと思われたらねそれ こそこのギリシャのね国力ってのが落ちて いきますからはいそういった問題もあり ますなのでえソクラテスはこの政府からね 目をつけられてえま捕まってしまうわけ ですねはいでえっとソクラテスは裁判に かけられえますそしてえ政府はですねこの ソクラテスをですねそのまギリシャが進歩 している神とは異なる神を若者にこう教え てま風気を見出しているとえいう風に え主張してまソクラテスをこうま逮捕して えそしてですね死刑宣告をするわけです はいでえっとソクラテス自身はですねあの

40:31 もちろんこの当時のまあのやり方として 国外に逃亡したりとかですねあるいは自分 でえ自分をこの弁護することによって経営 をまかれるっていうことはできたわけです けどしかしソクラテス自身はこの国家が 定めたええなんていうかなえっと法に 乗っ取ってそしてこの死刑を宣告されてえ いるわけでででそれに対してこの反論 するっていうことはソクラテスはこれ 間違っていることであるという風に言って え一切の反論をせずそして国語国外に えっと逃亡することもせずですね ソクラテスはえ死刑を受け入れることに なりますはいそして死刑がこの実行される

41:17 うまえまでの半日間をですねこのお弟子 さんをこう集めてえ色々こう哲学的な議論 をするそのまあ様子が描かれているのが このパイドンというえプラトンが書いた本 の内容になり ますで今日はですねこのパイドンのえっと 議論をちょっと紹介しながらソクラテスが こう魂ということについてどう考えていた かっていうことをま紹介したいと思います えパイドンというのはまえっと対話形式で 書かれておりますこれはまパイドンに限ら ずプラトンの著作というのはえっと対話編 という風に言って基本的にま例えばこう ソクラテスとこの弟子さんとかが色々こう 対話を繰り広げるのがまえっと描かれて

42:05 いくというまそういう形でえっとま作品が 作られているんですねでこれをまえっと その対話編のことえ対話のことをですね えっとディアレクティケー の形対話の形でえっとまソクラテスが何を 考えていたのかえそしてオデさんのこの 考えにどうこう反論したしてえいくのか これが描かれることでどんどんこの内容が ねえ展開されていくというのがまプラトン のえ本の特徴であるという風に言えますで えっとパイドンの中にまこういう風に えっとまソクラテスが主張しているんです ねちょっとあのそのまんまえっと読んでみ ますえソクラテスとえっとその弟子である ケベスという人ですねが対話しております

42:53 はいでソクラテスがまずこういう風に言い ますえ死とは魂の肉体からの分離に他なら ないのではないかとえ魂が肉体から分離さ れてそれ自身単独に存在していることこれ が死んでいるということではないかえ首は これ以外の何か他のものであり得るだろう かでケベスありえませんまさにそれです いう風に言うわけです ねそして ソクラテス我々は肉体のために何かを真実 にまた本当に考えることが決してできない のであるすなわちえ知恵が我々のものに なるのは我々が死んだ時のことであって

43:40 生きている間は知恵は我々のものになら ないのであるそして哲学者の仕事とは魂を 肉体から解放し分離することであるそうで はないかでケベスそうだと思います まこういう風なやり取りがあるんですねで どう何を言っているのかと言いますとえ 私たちはえ肉体と魂というま2つのもの から私たちのまこの存在は成り立っている という風に言うことができるわけですねで 肉体というのはま要するにいろんな欲望に えっとまみれているという風に言うわけ ですえつまりまいろんなまお腹が空いてえ

44:27 とお腹が空いて何か食べたいっていうま 食欲であったりえあるいは何かに怯え るっていう恐怖であったりいろんなこの 妄想であったりねそういったものに肉体 っていうのはまし至時中ま見舞われている わけですねそれが肉体ですでそれに対して 魂っていうのは物事を考えたり理解したり するまそういう役割を果たすわけですねで この2つっていうのはあるしこう対立関係 にあるわけですつまりええっと何かこう 物事をね突き詰めて考えよう考えようと するわけですけどもその度にぐーっとお腹 が空いてえっと物事が考えられなくなると かえあるいはもう少しでこの森林到達し そうだという風にこう魂がね働いている時 にもう眠たくて仕方がないってこう肉体的

45:15 な欲求が生まれてそこでこの考えが中断し てしまうとえいうことがどうしても私たち がね肉体を持っている以上まえっとそれを 避けられないという風にまあえっと言える わけです ねそこでまソクラテスは死っていうのは そういう色々欲望にまみれた肉体から魂が 分離されて魂だけの存在になるっていう ことこれが死を意味するはずだという風に ま言うわけですね確かに冒頭でお話しし ました生きている人が倒れてなくなっ ちゃったでそこからヒーっと離れていった のが要する魂であるという風にまえ言う ことができるそうするとこの魂っていうの

46:01 はそういう肉体から分離されてそれ自体に なるのが要するに魂ですからえこれが 要するにイコール死ぬということであると いう風に言うことができるわけですねで そうするとですね哲学者っていうのはえ 知恵を愛するものですね地を愛するものえ 要するに知識を得ようとするまそういう 人物なわけですでということはですね 先ほど言いました哲学者はえ物事心理を 探求しようとえするわけですけどもその度 にその肉体が持っているいろんな欲求欲望 によってえそのその何かをしろうという ことま中断されるわけですねつまり肉体 っていうのは地を得るための障害になって しまうわけですなら

46:50 ば生きているうちはそういう肉体の中にね 魂がえっといるかえその知恵っていうもの にこの到達することができないという風に えっとソクラテスは言うわけですなので 哲学者はですねその自分の肉体から魂を 解放してですねその魂だけの存在にな るっていうことが哲学者にとっては本毛な わけですねえもう魂だけの存在になれば もう肉体的な欲求から離れてですねの探求 をま36524時間365日ずっと探求し 続けることができるわけですから哲学者に とってはま要するに死ぬということつまり

47:37 魂の存在だけになるっていうことはこれは 本毛なわけ ですはい えっとですのでましかしですねま哲学者が まねそのもう死んでしまってはねもうなん というかな元もこもないというかあの自分 がねそこで心理を獲得してもですですね あのねそれを伝える術もなくなってしまい ますなのでえっと哲学者がやるべきことっ ていうのはその魂を肉体から解放して分離 することつまり死っていうものをえがどう いうものかっていうのを生きているうちに 色々考えてえ実践してえそれを練習して おくということがたえっと哲学者がやる

48:23 べきことであるとまそういう風に ソクラテスは考えるわけですなので哲学者 の仕事というのは死を練習することである とまそういう風に言うわけですねはいこの ようなソクラテスの主張に対してですね あのま弟子のケベスがですねまこう反論を するんですねあのであのなかなかこの反論 というのがこのソクラテスの主張のこ真っ ているというかなかなかするという反論な んですねえケベスはどのようにこう ソクラテスにこう反論をするかと言います とえーまソクラテスさんあの非常によく 先生よく分かりますとえしかしですね魂と いうのは人間の肉体から分離されちゃうと

49:11 もはやどこにも存在しなくなっちゃうん じゃないでしょうかねもこういう風に言う わけです ね私たちは肉体の中にこう魂があってこう やって生きているわけですでえしまって魂 がこう肉体から分離されてしまうと魂も 要するに消滅しちゃうんじゃないですか魂 もなくなってしまうんじゃないでしょうか という風にえケベスはソクラテスにこう 反論するわけですはい結構鋭い反論だと 思います全頭な反論だと思いますねはい 肉体から魂は分離されちゃうと魂も なくなっちゃうんじゃない でしょうこれに対してソクラテスも反論を

49:57 加えていくでそこでソクラテスの考えて いるこの魂というのが何なのかということ がこう明らかにされていくということに なりますソクラテスはケベスの反論に対し てですねいや魂というのは肉体を離れても それ自体で存在し続けるつまり魂というの はえ消滅することはないんだということえ 霊魂不滅であるということをソクラテスは 主張しそれを証明するということを行い ますはいでそこらですがどういう風にこの 魂はなくならないんだというのをま論証し ていくか説明していくかということをま今 からお話ししたいという風に思い ますソクラテスはこういう風に主張し

50:45 ますこの世の中のありとあらゆるものて いうのはえ対立するものがあるんだという 風にまず言うんですねつまり難しいものに 対しては見にくいものがあります大きい ものには小さいものがある正しいものには 正しくないもの不正であるものという風な 対立するものがこの世の中のありと あらゆるものには存在するという風に言う わけですね全てのものは何かとこう対立し ているんだという風に言うわけ ですそしてえソクラテスは全てのものって いうのは反対のものが反対のものから 生じるという風な仕方で生成するんだと

51:34 いう風に言うんですねどういうことかと 言いますとまえっと実際に えっとソクラテスのえっとケベスの言っ てることをま見ていきながらお話しして いこうという風に思い ますはいソクラテスはまずこういう風にい ます何かがより大きくなる時には必ず以前 により小さい状態にあってそこから後に より大きくなるのではないかという風に 言うわけです ねつまり大きいものは小さいものから 生じるという風にまソクラテスは言ってる わけですねえ例えば子供の成長なんかを

52:21 思い出してみましょうえ子供が大きくな るっていう時にはそれ以前には子供は 小さかったわけですつまり大は小から 生じるわけですね反対にえじゃあえっと 例えば小枝っていうのがありますね小枝で 小枝っていうのは元々大きい枝があって それが小さくなってえっと小枝になるわけ ですつまり章は台から生じるわけですね この世の中ってのはあとあえるものが対立 するものがありますそしてその対立する ものはえお互いがえ反対側から反対側の ものが生じるっていうことになっているん だという風にソコラテスは言うわけですね

53:07 子供が大きくなる時にはそれ以前の小さい 状態があるわけですから台は小から生じる わけです逆に小さい小枝は元々大きい状態 ですからそれがえっとま割れるなり折れる なりなんかして小さい小枝になるわけです なのでえっと小枝は大きい枝から生じる章 は大から生じる対立するものがえお互いが え反対のものから生じるようになっている という風にまソクラテスは言うわけです ねソクラテスでそれではどうだと生きて いることに対して何か反対のものがある かねちょうど目覚めていることに対して

53:52 眠っていることが反対であるようにケベス えもちろんありますとそこらですなん だケベス死んでいることですでそらです それではこれらのものつまりえっと生きて いることと死んでいることえこれらのもの がですね反対であるからには相互から 生ずるのだ眠っていることから目覚めて いることが生じ目覚めていることから眠っ ていることが生ずるようにという風に言う わけですね つまりソクラテスが言いたいのはえ要する に眠っていることから目覚めていることが 生じ目覚めていることから眠っていること が生ずる反対のものは相互からえ反対の

54:38 ものが生じるようになっているじゃあ生き ていることの反対は何かと言うとそれは 死んでいることですという風に言うわけ です ねそして死んでいる人があごめんなさい 生きている人が死ぬわけですから死はせ から生じるわけですねでこここまで考え たら逆も しかりせは死から生じるっていうことにも なるんじゃないかという風にソクラテスは え言わんとしているんですねでえこれから あのこの2人のやり取りをちょっと ダイジェストでえっと紹介してえでどう いうことかの後でちょっと考えたいという 風に思いますまずソクラテス ですでは君もまた同じように生と死につい

55:25 て僕に行ってくれた前君は死んでいること が生きていることに対して反対であると いうのではない か死んでいることが生きていることに対し て反対であるというのではないかケベスえ そう言い ますそれらはお互いから生ずるのだね はいで ソクラテスでは生きているものからえ 生ずるものは何なのかケベス 死んでいるものですそうですね生きている ものから死んでいるものが生じるわけです ね生きている人は必ず死にますからえ生き てるものから死が生じるわけ ですでは死んでいるものからは何が生ずる

56:12 のかケベス生きているものがと同意せざる を得ませ んでソクラテスがこういう風に言います 死者がせ聖者からえ要すに生きている人 から生ずるのと同じように聖者は死者から 生ずるので あるところでこういう事情であれば死者 たちの魂が必ずどこかに存在していてそこ から再び生まれてくるはずだということの 十分な証明になるとえ先ほど我々は考えた んだ と例えばもしも方に眠りに入ることがある

56:58 のに他方に眠りの状態から目覚めるという 逆の過程が生じて対応していないとすれば どうか君にも分かるだろうもしも性を受け たものが全て死んでいき一度死んだならば 死者はその状態にとまって再び生きれ帰ら ないとするならば最後には万物が死んで 生きているものは何もないということに なるのは大いなる必然ではないかというの はもしも聖者が死者とは別のものから生じ 聖者は死ぬとすれば万物は消費尽くされて 死に至ることを何か防ぐ手段があるだろう かまこういう風に言うわけですね ソクラテスが言っていることをちょっとま

57:45 説明補足的に説明したいと思います えソクラテスが言ってるのは聖と死って いうのは対立しますそして死ぬ人はえ死と いうのはている人が死ぬわけですから死は 聖から生じるわけですねでそこまで言った ならそこまで認めるんならばえ聖は死から 生じるつまり死んでいる状態から生きて いる状態性というものが生まれ変わるえ 要するに生じてこないといけないじゃない かという風に言うわけですそしてえ死から 聖が生じるためには肉体からえっと魂が 離れて魂がなくなっちゃったらもうそこ から何も生まれないですからえっと真でも

58:30 なお魂っていうのは存在し続けていないと いけない死というものはえなくならずにえ そのまま存在していなければならないじゃ ないこういう風にまえっとでそこからえ 新しい性が生じてくるのでなければなら ないじゃないかという風にソクラテスは 言っているわけ です例えばですねまあのこちらオンライン なのであの皆さんここ個々でねあのお家で この動画を見たりとかえされているので ちょっとあの分かりにくいかもしれません がまこう教室で話してるとしましょうで 教室にじゃあえっと20人えっと皆さんが ねえっといるとしますでこの教室にいる 20人がこれが全人類の数だとしましょう

59:16 とりあえずね全人類の数だとしましょうで えこのえっと教室にいる皆さんが全人類 ですねでま時間が経つとまこう徐々にこう ま順番で言えば僕が1番初めでしょうが あのま徐々にこうなくなっていくわけです ねでえーもし えっと死んでしまっても魂もなくなくなっ てしまっても無になっちゃうもう何も なくなってしまうとするならばえ僕が死ん で1人死んで2人死んでどんどんどんどん なくなっていってえこの教室にいる全ての 人たちがもうなくなってしまって人類は 消滅しているはずですです ねですが皆さん生き残ってるわけですね 人類生き残ってるじゃないです

1:00:03 かならば人はえっと死でも要するに魂の 状態だけは残っていて存在し続けていて そこから新しい性が誕生してくるという風 に考えなければ今この人類が残っている 以上そう考えざるを得ないじゃないかと いう風にソクラテスは言ってるわけですね もしも性を受けたものが全部死んで言って え死者はその状態でもうえっともはや 生き返らないとするならば最後に全部死で 生きているものは何もないっていうことに なってないとおかしいでしょでも今なって ないですよねならば魂っていうものはえ その人が死んでもそこえっと存在し続けて いでえ亡くならずに存在し続けていてそこ から新しい生命が生まれてこないといけ

1:00:50 ないということを認めざるを得ないでしょ という風にそこラテスは言うわけです はいでそれに対してもうケベスはこう言わ ざるを得ないわけですねえソクラテス何1 つありませんあなたの言ってることは全く 真実だと思いますえこう言わざるを得なく なるわけですねえそうだケベスえ僕が思う には何にも増してその通りなのだそして 我々は欺かれてね騙されてえこれらのこと に同意しているわけじゃありませんえ 生き返るということも者が死者から 生まれるということもえ死者たちの魂が 存在するということもこれは本当にある ことなのだという風にまソクラテスはえ

1:01:36 ケベスの反論に対して再反論をするとえ いうことになるわけですえっとこれまで 確認してきましたあのソクラテスの主張を まえっとまとめますとえ魂というのはえ 不死である魂の不死性というのを ソクラテスはま主張しているわけですねえ え肉体が滅びて魂もえっと同時に消滅して しまうとするならばそこから生命が誕生 するということはありませんえっとなので えっと魂というのはえっと死なずにその まま存在し続けると魂は不死であるという ことをソクラテスは主張するわけですえ そしてえっとこれはえっと人間っていうの はリで転生していくという風に言うわけ ですねえ一旦死んでもそこからその魂は別

1:02:23 の肉体を伴ってこのえっと新たにこの えっと世界にこの誕生していく輪廻転生と いうのを主張しますはいでソクラテスの 議論っていうのはま非常に論理的であると いう風に言うことができますね世の中には 対立するものがありますえっと大は省から 生じ省は大から生じるようにね えそう対立するものが対立するものから 生じるということになっているとえそう 考えるならばえ生としは対立します死んで いるものが生きているものから生じるここ まで認めるならばえ聖は死から生じると いうことを認めざるを得ないえ性がしから 生じるんであればえ肉体を伴っていった魂

1:03:12 が肉体が死んでなくなってしまうともはや そこから性が生まれるってことはありませ んならば魂ってのは死なずに存在し続けて いなければならない魂は不であるとえいう ことを主張する非常にロジカルです論理的 なんですねしかし一方でえっと輪廻転生 だったり魂が不死であるということを言っ ていいますのでま神話的でもあるわけです ね非常に宗教的でもあるという風に言う ことができますはいこれがまソクラテスの 考えている魂についての議論だあるという 風に言うことがえ皆さんはここまでの議論 はまお聞きになってですね非常にま論理的 にあの正しいという風にま納得してね説得 されたかと思いますけれどもしかし一方で

1:03:58 なんかおかしいなという風なことをえ思わ れたと思うんですねはいえっとなんか騙さ れたような感じがするなんかおかしいなと いう風にかそういう感じがえあったかと 思いますでこのねあの何かおかしいなって いうこの感情っていうのは皆さんこれから ね大学生活だけじゃなくてこれから人生を 送っていく中でこの自分がうこのなんか おかしいなっていう感情はええ非常に大事 にした方がいいと思いますねそこに 何かしらのこ心理がえ隠されているという 風に言うことができると思いますそう何か がおかしいっていう感情はこう何かをね 理解したりしるっていうこと以上にねあの 重視されるべき感情だと思いますのであの

1:04:44 そこにね着目してえこれから行って いただければと思いますがはいでじゃあ何 に私たちをこのこのソクラテスの議論にね 何がおかしいという風に感じたかていう ことちょっと考えてみたいと思います ソクラテスの議論はま要するにま哲学ま ちょっと宗教的神話的な側面もあります けどま哲学の議論ですしま論理的に説明を されているわけですねはいでその話を聞い て今私たちはま論理的に納得はしたけれも なんかおかしいという風に感じたわけです でなんでこのななんかおかしいなっていう 風に感じたかというとその理由 は私たちがいわゆる科学という立場からえ

1:05:32 に立ってねえソクラテスの議論を聞いた時 になんかおかしいなという感覚が生じる わけですつまりえ私たちの科学的な立場 常識になった科学的な立場からすると ソクラテスの言ってることはなんか おかしいんですね要するにこの2つの間に ルシン対立関係があるから私たちは ソクラテスの話を聞いてなんかおかしいな という風に感じるわけですなぜなら肉体が 滅びて魂だけが存在するとかあるいは魂と いうものがね前提にされているということ をまえ聞いてですねなんかおかしいという 風に思うのは要するにえそういう魂の存在 をま認めないえ要するに科学の立場に 私たちが立っているからえなんかおかしい

1:06:21 なという感情が生まれるわけですえこの 感情からわあることはこの神話的宗教的な ものえソクラテスのの哲学っていうものと え要するに私たちの立場である科学という ものの対立関係というものがそこにあの 見出すことができるという風に言えるわけ ですねえ科学的な立場からするとま ソクラテスの言っているその魂というもの あるいは魂がねそれ事態として存在する なんていうのはまいわゆる非科学的である という風にえま思うわけですねだからこそ 何かおかしいという感情が芽生えたわけ ですじゃあ科学は魂というものを全く問題 にしていないかというと実はそうでもない

1:07:08 んですね実は魂にとっあごめんなさい科学 にとって魂というものにま えの位置を占めているものがやっぱある わけです魂というのは先ほどお話ししまし たように冒頭お話ししましたようにえ物を こう内側から動かすものであるあるいは あなたがあなたである私が私であることの 根拠になって自己同一性の根拠であると いう風な話をしましたこれに対応する科学 的な 立場にあってこれに対応するものは何かと いうとまさにこうですね意識というもの ですまさに意識っていうものがえ私たち

1:07:53 生物を内側から動かすで分かりますねあの 要する歩こうという風に意識すれば歩く ことができるわけですね生物をこう動かす 言動力になっておりますしそして意識って いうものはえ私が私であるということの 根拠になってるつまり私の意識っていう ものはえ要するに他の誰の意識とも同じで はないわけですねはい皆さんの意識と僕の 意識は絶対に同じではないわけですそう いう意味で私の意識ってのは私という存在 の根拠になっていますえ皆さんにとっても 皆さんの意識が皆さんであるということの 根拠になってるわけですねまさに科学に おいて意識と呼ばれるものはいわゆる 要するに古代ギリシャにおいて魂という風 に呼ばれていたものとま同じえものである

1:08:41 という風に言うことができるわけ ですしかし え魂と意識ってのが同じだとしてもその 扱い方にやっぱりその宗教的哲学的神話的 なものええごめんなさいえっと新馬宗教的 な哲学っていうのとえ私たちの科学って いうのはその扱い方に違いがあるという風 に言うことができます魂についてえないし 要するに意識というものについて科学は どういう風に理解しているかっていうこと をまずちょっと見てみましょうつまり魂 ないし意識というのはえっと科学の立場 からするとその肉体から離れて存在する なんていうのはこれは考えられないわけ ですね常に意識っていうのはまえっと

1:09:27 要するに脳内のえっと伝達物質によって 生じるものであるという風に考えられてい ますもしこの脳のね活動が停止すれば意識 というものもま存在しなくなるわけですね なので科学は意識魂それ自体が存在する 肉体から離れて存在するとは考えないわけ ですえで今ちょっと言いましたけれども魂 意識というのは脳内物質の活動とかあるい はえ生態反応ですねそういったものに還元 することが逆に脳内物質の活動が停止し たりあるいは生態反応がなくなったりすれ ば意識というものは存在するとは言えなく なるわけですねはいそういう風に意識って いうのはそういうま物理的な現象に還元

1:10:14 できるんだという風にまえっと科学は 考えるわけですでここから分かる科学の 立場というのはまさに目に見えたりえ触れ たりすることができるものだけが存在する という考え方ですねこれが科学の立場で あるということが分かると思いますはいえ つまり科学というのは実証的えま実験に よってえその存在を確かめることができる ものだけが存在するというのを認めるそう いう意味で実証的であったりあるいは客観 的え科学的であるという風にま言うことが できいるわけですねこれに対してじゃあ魂 についてま哲学的神話宗教というのはどう

1:11:02 いう風に見ているのかということを考えて みましょう えっと哲学的な神和宗教まソクラテスの ような立場の人は人というかまえ考え方は え魂というのは真でもえそのあごめん なさい肉体が死でも魂とのは死なずに残る とえ不死であるという風に考えるわけです ねえあるいはえ少なくとも魂は不死である という風に信じるというのがま宗教え神話 の立場であるという風に言うことができ ますこれはえ先ほどの科学的な立場えとの 対比で考えるとつまり目に見えないもの 触れられないものも存在するんだという風 に考える立場であるという風に言うことが

1:11:48 できるわけですねつまりえっと天国であっ たりまあの世霊魂であったり念というもの はもちろんもち目に見ることもできません 触れることもできないしかしそれが存在 するという風に考えるあるいは存在するん だという風に信じるというのが神話とか 宗教の立場であるという風に言うことが できますえまさにこれをま宗教的あるいは 主観的あ非科学的という風に経営をする ことができるわけですねまさにその魂と いうものをどう見るかということどう扱う かということによってえ科学的な立場で あるかあるいは宗教シマ的な立場である かっていうことがこう区別して見ることが できるとえいう風に言えるわけですねさて

1:12:35 ちょっと野田の議論に最後にちょっと変 えっと少しは変ってみたいと思いますえ 野田はですねま哲学にはえ3つの伝統を 通じたえ世界観人生感の形成という要求と プラス理性的な学問であろうとする要求 このが含まれているんだという風に言う わけですねつまり世界観とか人生感という ものを形成するという要求これはあしこの 神話とか宗教とかに求められるものであり ますでそれに対してえそれでもなお科学的 であろうとする要するに理性的な学問で あろうとする要求があるまこちらは要する に科学的なものに えっとなんてかな組みするものなわけです

1:13:22 ねこのある所を対立する2つの要求って いうものが哲学っていうものには求め られるんだという風にまえ野田とはえっと 主張するわけ ですつまり哲学っていうのはえ一方で高度 な論理性を要求されるわけですねと同時に 古代以来の人生感古代以来人生感や世界観 の問題の追求に携わりこの方面ではかえて 非論理的な信仰や決意を表現しようとさえ するという風に言うわけですねこれがま 野田によれば近大臣の意識の分裂がこの 哲学にも現れていると言えるんじゃないか という風に言うわけですねえ私たち現代に

1:14:10 おいても科学的なえっと立場でありながら もだけど人生の意味とは何なのかえ人が 生きるっていうことは何なのかということ を考えるえ考えないばならないとえいう この2つのま2名というのを私たちえ近代 以降の人間っというものはえ持っていてえ その両者で非常にこのいろんな思い悩みて いうものをまえっと作り出してえいるわけ ですねそういう意識の分裂っていうのが 哲学の中にもえ見出されるんだとえ元々 見出されるんだということをまえっと野田 は主張するわけです哲学というものはその 客観的であろうとするま要するに客観的な 科学であろうとするそういう要求とえにも

1:14:57 関わらず人間の生き方とか世界をどう見る かそういう世界感とか人生感というものも ま考えていかなければならないそういう ある種の地連間にえっと哲学ってのは置か れているんだという風に言うわけですね 哲学も要するにこの世界ってはどういう ものなのかどういう風に見ることが適切な のかえどういう風に人間っていうのは生き ていくべきなのかというまそういうま非常 に神話的宗教的なえっと領域の話をえ考え ないといけないわけですがだけれども哲学 っていうのは論理的な客観性を用意し なければならないのでえ水論をし言語を 用いて論理的に説明するっていうことをま 哲学はしなければならないあるしそういう

1:15:43 次レマに哲学っていうのは置かれているん だということをまえ野田はま主張している いうのがまえっとこの本のポイントになる かなという風に思いますさてあの本日の まとめです今日お話ししてきたことえは ですねま哲学っていうのはあしそれまで 神話が語っていた世界観人生感というのを ま理性的な技術とえっと今日はま出てき ませんでしたけれどもま道徳というものに よって置き換えるということをいたします えっとねあのソクラテスがその魂というね 魂の存在人の生しに関わる世界観人生感と いうものを問題にしながらも非常に論理的 で明解なロジックでねそれを説明していた

1:16:31 え理性的にこ説明していたということがま お分かりになったかと思いますはいえこう いう風に論理的に物事を説明するというの がそれまでの神話的なもの宗教的なもの からえこの切り離されてえ哲学というもの の特徴をえっと形作ってるという風に言う ことができるわけですはいでま野田の本に よりますと紀元前6世紀7世紀あたりに 哲学の3つの伝統が生じたということでし た1つは古代ギリシャのえっと諸学派え もう1つがインド古代の諸学派え3つ目が えっと中国春流戦国時代の諸学派であると いう風に言えるわけですえしかしながらえ 19世紀から現代にかけてえっと影響力を

1:17:18 持ったのはやはりこのギリシャ古代の哲学 の伝統であってそしてえっと中国とえっと インドの伝統っていうのはえっと大体 えっと15世紀あたりで止まってしまうと えいう風に言うことができるわけですはい そしてなぜ古代ギリシャの哲学がそのよう に影響力を持つことができたのかそれは キリスト教が古代ギリシャの哲学を導入し てそしてキリスト教が世界に広がっていく のと同時にえいろんな自然科学とを 生み出していってですねえいろんな産業 社会えそういったものにえの発展に寄与し ていくということを通してですねえ西洋 文明がどんどんどんどん世界中に影響を

1:18:03 及ぼしていたとえそれが原因でえその古代 被者の哲学の伝統だけが残っていたという ことになりますそしてその えっとその発展の末にえいわゆるえっと 科学というも客観性を持った科学という ものとえ私たちが今ここでえっとお話して いるような哲学というものが生まれてきた まそういう流れにあるんだということでし たはいえそしてえその科学というものま 客観的な科学というのとあるし非科学的な 宗教というものえこの対立があるえそして えそれに対しそれに加えて哲学というのは え非科学的であるま宗教的なえっと議論を

1:18:49 しながらも科学的な客観性を担保しなけれ ばならないというまそういうま自レマに 置かれているというのが哲学の課題である とえいうことがえま今回のお話のポイント になったわけですねはいこれをま今日はま 魂というものをテーマに考えてみたという ことになりますですのでま皆さんもま魂 っていうことをまえっと軸にですねもう 一度この今日のお話をま振り返って いただければうまくこのえっと今日の内容 がね整理できるかなという風に思います はいということでえっとこれであの哲学の 世界の2回目のえっと講義を終わりたいと 思いますはいえっとこちらあのイントロの

1:19:35 方でもまお話をしております通りですね この動画を見てですねあの質問をえっと1 つ考えてえっとこのまムード上で提出する ということをしてくださいまそれによって まえこちらのえっと出席という風に見なし したいと思いますのではい よろしくお願いいたしますはいではあの 今日はこれで終わりたいと思いますお疲れ 様でした

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