日本の名作を読む 第12講 2

簡単なまとめ

この動画では、連歌と俳諧の違いを、具体的な作品を例に解説しています。連歌の代表作『水無瀬三吟』の冒頭部分を取り上げ、雅な世界観や技巧を解説。それに対し、俳諧では『犬筑波集』を例に、雅なものを俗なものに落とし込む笑いの手法を紹介しています。視聴者への課題として、「きりたくもありきりたくもなし」という句に対する面白い答えを募集しています。

  • 連歌の雅な世界観と技巧
  • 俳諧の俗な笑いの手法
  • 視聴者への課題提示

連歌とは何か、雅とは何か

連歌とは何か、そして連歌における「雅」とは何かについて解説します。連歌の代表作の一つである『水無瀬三吟』を例に、その特徴を見ていきます。『水無瀬三吟』は、後鳥羽院の没後250年目に、室町時代の連歌師である宗祇らが後鳥羽院を偲んで巻いた百句の連歌であり、水無瀬の後鳥羽院御影堂に奉納されました。

水無瀬三吟の冒頭三句の解説

『水無瀬三吟』の巻頭の最初の三句を詳しく見ていきます。最初の句は宗祇の発句で、「雪ながら山もと霞む夕べかな」です。この句には「賦物(ふしもの)」というルールが適用されており、「何人」というお題に対して「山人」という言葉が詠み込まれています。この句は、後鳥羽院の和歌「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけん」を踏まえており、言葉のレベルでも影響を受けています。後鳥羽院の和歌は『枕草子』の「秋は夕暮れ」という考え方を背景に、「春の夕べもいいな」という気づきを詠んだものであり、宗祇の句もその文脈を受け継いでいます。

肖柏と宗長の句

宗祇の発句に続いて、肖柏が「行く水遠く梅にほふ里」という句を連ねています。この句は、宗祇の句が後鳥羽院の歌を踏まえていることを考慮すると、水無瀬川を連想させます。遠くに見える人里で梅が香る様子を描写し、春の兆しが人里にまで届いている情景を表現しています。さらに、宗長が「川風に一むら柳春見えて」という句を付け、川の柳に春の訪れを感じる様子を詠んでいます。これらの句は、遠くの山から人里、そして川へと視点がクローズアップされるように変化し、美しい春の景色を連ねています。

俳諧の俗な世界

連歌の雅な世界に対して、俳諧の俗な世界を『犬筑波集』を例に解説します。前句「かすみのころもすそはぬれけり」に対して、「佐保姫のはるたちながらしとをして」という句が付けられています。佐保姫という春の女神を登場させながらも、「立ちション」という下品な表現を用いることで、雅なものを俗なものに落とし込む笑いを誘っています。室町時代の俳諧では、このように雅なものと俗なものの落差を利用して笑わせることがよく行われていました。

犬筑波集の謎掛け

『犬筑波集』には、なぞなぞのような句を付ける例も多く見られます。「きりたくもありきりたくもなし」という句に対して、「ぬす人をとらへてみればわが子なり」という句を付けることで、意外性と笑いを生み出しています。また、「人にはあらで人でこそあれ」という句に対して、「うすがみに入といふ字をうらにみて」という句を付けることで、とんちの利いた答えを示しています。これらの例から、俳諧では機転を利かせたアイデアや下世話な表現を用いて笑いを誘う様々な方法があったことがわかります。

視聴者への課題

視聴者への課題として、「きりたくもありきりたくもなし」という句に対して、とんちの利いた答えを募集します。貞徳の例として「かひ所かくには爪もたからにて」という句を紹介し、爪を切ると痒いところを掻けなくなるという視点から解釈を示唆しています。視聴者には、一句にこだわらず、自由にアイデアを発想することを促しています。

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0:00 それでは、具体的な作品の変化というものを見ていきたいと思います まずは連歌というものはどういうものなのか 雅とはどういうことなのかというのを見ていきたいと思います それで連歌の代表作の一つである『水無瀬三吟』という作品を ちょっと最初だけ読んでみましょう 『水無瀬三吟』というのはどういう作品かと言いますと 後鳥羽院の没後250年目に、室町時代の連歌師 宗祇という有名な連歌師です 宗祇達が後鳥羽院を偲んで巻いた百句の連歌、百句連ねているんですね 水無瀬の後鳥羽院御影堂に奉納されたかと

0:47 宗祇の発句は、後鳥羽院の和歌 「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけん」 を踏まえているという 後鳥羽院を偲んで、連歌師達が巻いた百句の連歌ということなんですね 今日はその巻頭の一番最初の3句を見てみましょう 一番最初、これが句ですね 句の前にこういうのが付いていますよね 「ふすなにひとれんが」という風に読みますけれども、 これは何なのかというと、これは連歌の一つの決まりというかルール 遊びなんですけれども、賦物という風に言います 賦物というのは何かと言うと、この場合だと「何人」とありますでしょう

1:37 この「何」となっているところ、ここがクエスチョンな訳ですよ ここに入れて人と合わせて熟語になる文字というんでしょうか それを句の中に詠み込みなさいよ、というそういう遊びなんですね 言葉の遊びです、この「何」ですね そういうとても知的なゲームなんですね この場合だったら、人と組み合わせて 熟語になる言葉は何が入っているのかなと

2:23 この雪か山か霞か夕か、という風に1個ずつ入れていきますと これは「山」で山人、山の人というね 山人というのがこの場合は賦物をクリアしているんですね 山人という熟語ができるな、という そういうだから発句を詠む、一番最初の出発の句を詠むというのは なかなか難しいんですね ええ?これと組み合わせて言葉になるようなものも入れなあかんし~ ほんで何かその時の周りの情景なんかを詠まなあかんし~ということで とても大変だったりします それで連歌によってはこれを巻頭の句だけではなくて 全部の句にそういう文字を入れていくというようなね そういう縛りで詠んでいくような連歌もあって

3:09 連歌は本当に、高度な知的な遊びでもあるんですけれども その中で雅な世界を詠んでいくんですね さあ、宗祇の発句を見てみましょう 「雪ながら山もと霞む夕べかな」ですね 雪がありながら 山の麓は霞が立っているよ、立ち込めているよと 時刻は夕べ、夕方頃にですね まだ山には雪が残っているということですね なんだけれども、山の麓は霞が立っていると それで霞んでいるというこの「霞」というのがポイントで 霞むというのはこれは春なんですね、季節が だから雪があるというのは、まだ冬のなごりの雪が残っているけれども

3:57 山の頂の方には雪が残っていて、まだ冬なんだけれども 山の麓の方には霞が立ち込めていて、春が来ているなと そういうことを詠んでいるんですね そういう春霞が立ち込めているという そういう夕べの時刻というものを詠んでいる訳です それで、この句はしかもその上 この後鳥羽院の和歌も踏まえているということですね 「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけん」 言葉のレベルでも踏まえているというのは分かりますね 「山もと霞む夕べ」という風に詠んでいましたが、ここだよね

4:44 ここの部分が「山もと霞む」という後鳥羽院の和歌の中にある訳ですね 「夕べ」という言葉がありますよね なのでこの後鳥羽院を偲びつつ、後鳥羽院の和歌ですね それを使いながら、今宗祇は追悼の思いというものも この発句の中に込めているということなんですね 後鳥羽院の和歌は 見渡すと山の麓が霞んでいるよと 水無瀬川があるところで山を見るとですね 麓が霞んでいるなあ、ということなんですね 「夕べは秋と何思ひけん」 夕べは秋だ、という風にどうして思ったんだろう、と これがちょっと皆分かりにくいかもしれませんね

5:30 この「夕べは秋」というのは何かというと これは『枕草子』を実は踏まえていて 『枕草子』で「春はあけぼの~」とやりましたよね あの時に「秋は夕暮れ」秋は夕暮れの時分がいいよ という風に、清少納言が言っていたと だから、夕方はやっぱり秋が一番いいんだという風に 『枕草子』以来言われているから、自分もそう思っていたけれども 今春なんですよね、春の夕べもいいなということに気がついたよと 「夕方は秋がいい」とどうして思っていたんだろうと

6:21 「春もいいよ!」ということだよね 春の夕暮れもいいなという、そういう気づき 『枕草子』という古典を踏まえつつ、後鳥羽院が「春もいいなあ」と 「春の夕べもいいなあ」という風に詠まはった訳ですね それをさらに、宗祇は受け継いでいる訳 『枕草子』からこうまた、文脈が継がれていっている訳ですよね そして後鳥羽院が仰ったように「ああ、春の夕べもいいなあ」とね 山にはまだ雪が残っている、残雪が残っている山 そこの麓に、春の兆しの霞があって 「ああ、後鳥羽院が仰った夕べの春もいいな」と そういう追懐の思いと言うんでしょうかね

7:07 そういうものを宗祇の歌というのは込めている「追懐」ですね 懐かしいなということですね それをこの句に込めた訳ですね その5・7・5に今度は肖柏という人がまた連ねていく訳ですね 「行く水遠く梅にほふ里」ですね 行く水というのは、川が流れていっているんでしょうね そしてこの川は、この宗祇の句がですね この後鳥羽院の歌を踏まえているということを考えると

7:52 これは山もと霞むこの「水無瀬川」というものを連想している訳ですね この後鳥羽院から水無瀬川を連想したという風に考えたらいいね それで、遠く梅にほふ里という訳ですね 人里にまで、ということですね、人里のところでは梅の香りが 人里から梅の香りがやってくるよ、ということですね それで、行く水遠くだから、遠くの方に見えている訳ですよね だから、山のところに雪が積もっていて そこから水が流れてくるということですね 川が流れてきて、それが人里にまで流れていく、それはまだ遠景な訳です

8:44 遠景だから、梅の香りが風なんかで運ばれて、私のところまでやってくると 遠くには、そういう山から雪解け水が流れて川になって それが里まで行って、という そういう情景を描いて、付け合わせている訳ですね もちろんこれも、梅というのが春になる訳ですね だから「行く水」というのはこの前句の山から流れてくる「雪解け水」と そうすると、これは「春の兆し」というのかしら それが人里にまでやってくるということですね

9:31 人里でも梅の花が咲いて、梅の芳しい香りというものが 私のところまで香ってきますよと そういう景色を付けている訳ですね それに更に、宗長さんがですね 「川風に一むら柳春見えて」という風に付ける訳ですね これも春の景色を詠んでいますね この「行く水」というのが川になっていく訳ですよね それで川のところには柳が生えていますよね だから柳というものが連想されていくし 梅と柳というのはよく連想される言葉でもありますよね 「川風に一むら柳春見えて」と その梅の香りを運んでくる川風

10:20 そこにはまた柳もあって、その柳が川の風でなびいている姿ですよね それにも春という訪れを感じるなあという そういう春の景色というものを連ねていっている訳ですね ですから、これは本当に遠くの山だよね 遠くに山が見えていて、そこの春の兆しというところから それが人里というちょっと近くまで下りてきて しかしまだ遠いんですよね それが一気に3句目で、川のところの柳という風に どんどんクローズアップされてくるという感じ 遠い景色ですよね、それから近い景色へという風に

11:07 同じ春なんだけれども そういう視点のクローズアップという、そういう変化なんかも付けている それで、この詠んでいる景色というのはどれも美しいんですよね これが連歌の、この雅なものを連ねていくという そういう世界な訳ですね さあ、それに対して 俗の俳諧というのは、どういうものを詠むのかというのを 例で挙げましょう これは『犬筑波集』という本ですが 宗鑑という、室町時代の俳諧の祖でしたよね 宗鑑が編んだと言われているこの『犬筑波集』を見ますと こんな付け句があるんですね 前句が「かすみのころもすそはぬれけり」と、霞というね

11:56 先ほども出てきました、春の景物を詠んでいる訳ですね 霞の衣ということですから、春霞がたなびいている姿を衣のように たなびいているという風に、形容している訳ですね「霞の衣」ですね 「衣」ときたので、そこからの連想で、衣には裾がある訳ですね 裾が濡れてしまったという風に言っている そうすると、ちょっと意味が分からなくなってしまいますよね 霞が立っていると、それで霞に衣という風に見立ててる訳ですけれども

12:45 実際に霞に裾なんかない訳ですよね それで「裾が濡れる」とちょっと何かこれは現実の世界では想像しがたい事を 前句で言っている訳ですね ではこれに、どういう5・7・5を付ければいいのかな?という ある意味、これはとんちの世界なんですよね お題が出されて、それにどういう風に付ける?と 何か「IPPON」ではないですけれども、そういう遊びなんですよね 言葉の遊びなんですね それにこの『犬筑波集』の中では こういう風に5・7・5を付けているんです 「佐保姫のはるたちながらしとをして」と 佐保姫というのは、これは春の女神様です、美しいですね

13:31 だから春になる訳ですね それで春が立つということで、立春ということですよね、ひっくり返して だから春の女神がやってきた、佐保姫がやってきた 「ああ春になったんだな」ということですよね 春霞が立つ春の女神がやってきて、春になったんだなと ここは全然、美しい、雅な付け方ですよね ところが、その後に「はるたちながらしとをして」とくる訳ですね ここでちょっとおかしくなってしまう たちながら、立ったままでということやね 「しと」というのは、これは「尿」のことなんですね だから、俗な言い方で言うと立ちションということになるんですけれども 春の女神様が立ちションをしていると

14:17 だから春の女神様の衣の裾がおしっこで濡れてしまったんだという そういう風に付けている訳ですね こんなのはもう連歌ではあり得ない訳です これが俳諧の俗な世界になる訳ですね この室町時代の俳諧の俗というのは こういう風に雅なもの「春の女神」というこういう雅なものですね それが「おしっこ」という非常に俗なものに落とし込むと 雅なものを俗に落とすという方向ですね それで「わはは」という風に笑うというね 何かこう笑いの原初的な、こういう何かおしっことかそういうですね

15:09 何て言うんやろ、そういうもので笑うというのは一番原初的な笑いですね 幼い子供がある時期ですね、3歳とかね、もうちょっと幼い頃かな 何か分からないけど おならと言っただけで「キャキャキャ」と笑うみたいなね そういう下ネタというのは、ちょっと原初的な笑いのところがありますよね そういうものを使いながら、俗を言って、そして笑わせると 俳諧というのは「面白い」という意味があるんですね、滑稽という ですから、どういう風に笑わせるか、どういうところで笑いを出していくか それでその笑いというのは、雅なものと俗なもののこの落差ですね これが大きいほど、どっと笑いが起きる訳です

15:57 美しい女優さんが凄い下世話なことをやると そうすると、どわっとそのギャップで笑わせるというのが 一番古典的な今でも手法ですよね その落差の大きさというのを狙って、笑わせていくと これが俳諧、室町時代に行われた、俳諧の一つのあり方だったんですね というのはこの俳諧というのは 室町時代にどういう風に行われていたかというと 真面目なこの連歌の会をやりますよね やった後に「終わったね連歌!」「上手いこと巻けたね!」 さあ、ここからはお酒でも飲みながら無礼講、ということで 「ちょっとくだらんことでも連ねましょうか?」みたいな感じで 行われていたことが多かったですね なのでこういうちょっと下ネタ何かを入れながら

16:43 ギャグを入れながらですね、皆で「わはは」と笑うという そういうのが室町時代にもよく行なわれていた 俳諧の俗、俗な俳諧だった訳です それでこの『犬筑波集』の中には、例えばこういったなぞなぞみたいな これも謎掛けみたいなものでしょう、一種のね こういう謎掛けみたいな句を付ける、というやり方が多かったんですね 例えば、こんなのあります 「きりたくもありきりたくもなし」と 切りたいな、でも切りたくもないな、という それにどうを付けるかというと「ぬす人をとらへてみればわが子なり」 「きりたくもありきりたくもなし」「わはは!」という風になる訳ですね あるいは「人にはあらで人でこそあれ」と 人ではないんだけれど、人だな、とはどういうこと?と

17:31 これにこう付ける訳ですね 「うすがみに入といふ字をうらにみて」と 薄い透け透けの紙に「入」という字を書いて反対側から見たら 「人」見えるな、と上手いよね 「人にはあらで人でこそあれ」という風に もう本当にとんちの世界なんですよね こういうお題に対してどういう風に 面白い機転を利かせてアイディアで言うか あるいはそこに、こういった下世話なものを入れて笑わせるとかね 色んな笑いのあり方があるんですけれども こういう笑いというものが室町時代には行われていたんですね 今日の課題はこの「きりたくもありきりたくもなし」に ちょっと皆さんも、とんちで答えていただこうと これみたいに5・7・5になっていなくても

18:18 こんなものというのでも構いませんので ちょっと「IPPON」を狙って考えてみてくださいね ちなみに貞徳さんはこういう風に、このお題に付けています 「かひ所かくには爪もたからにて」これが貞徳の付けた句です 痒いところを掻くには、この爪というのも宝物になるから 切りたいんやけど これ切ってもうたら痒いところを掻かれへんしなというね そういう風に貞徳さんは付けています 色んな切りたい切りたくないというのが考えられると思うということで

19:05 ちょっと皆さんも、1句にならなくてもいいので 何かちょっと考えてみてくださいね では、一旦ここで切ります

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