出版メディア論 第5回

簡単なまとめ

この動画では、大手前大学の谷村要氏が、出版メディア論の第5回として、ウォルター・J・オングの『声の文化と文字の文化』を紹介し、デジタル化の進展が出版に与える影響と、出版という言葉の今後の意味について考察します。メディア論の基礎、技術決定論と社会決定論、マクルーハンのメディア論を振り返りつつ、オングの議論を基に、デジタル時代における出版の現状と課題を明らかにします。

  • オングの『声の文化と文字の文化』の議論を紹介
  • デジタル化が出版に与える影響と課題を考察
  • 出版という言葉の今後の意味を検討

導入

この講義では、ウォルター・J・オングの著書『声の文化と文字の文化』を紹介し、デジタル化の進展が出版の意味にどのような変化をもたらしているかについて議論します。出版メディアの現状を理解するために必要なメディア論の紹介と、電子書籍が優位になる中で「出版」という言葉の捉え方を考察します。

前回のおさらい

前回の講義では、メディア論の基礎として、メディアと社会の関係について、技術決定論と社会決定論の2つの視点から考察しました。出版メディアが19世紀の技術発展と連動して変化してきたこと、そしてメディア論の創始者であるマクルーハンの議論を紹介しました。マクルーハンの議論は、今回のオングの議論にも影響を与えています。

今回の内容

今回の講義では、マクルーハンと並んで出版メディア研究で著名なオングの『声の文化と文字の文化』を紹介します。デジタル化の進展が出版に与える影響を考察し、「出版」という言葉の意味を再検討します。

オングの『声の文化と文字の文化』

ウォルター・J・オングは、ラテン語を専攻し、イエズス会で活動しながら英文学の研究を行いました。マクルーハンの指導を受け、69歳の時に『声の文化と文字の文化』を出版しました。この本では、オラリティ(声の文化)とリテラシー(文字の文化)を比較し、文字の導入が社会に与えた変化を論じています。印刷技術や電子メディアの導入が、声の文化と文字の文化に与える影響についても考察しています。オングは、メディアが人々の思考過程に影響を与えると考察しました。

声の文化は時間と空間に縛られ、状況依存的で抽象的ではない特徴を持ちます。文字を持たない人々は、具体的な状況を前提としたコミュニケーションを行います。一方、文字の文化は時間と空間を超え、抽象的な思考を可能にします。しかし、発信者と受信者の間に意味のずれが生じる可能性もあります。オングは、手書き文字の時代にはまだ声の文化が残っていたものの、印刷技術によって完全に切り離されたと主張します。

オングは、言語表現の様式を4段階に分け、交渉的(声の文化)、初期的、活字的(印刷による文字の文化)、そして電子メディアによる変容を考察しました。電子メディアの普及により、声の文化が再び勢いを取り戻しましたが、それは手書きや印刷の文字の文化を基礎とした二次的なものであるとしました。オングは、マクルーハンのように単純に声の文化が優位になるとは考えず、声の文化と文字の文化が相互に影響し合いながら変化していくと主張しました。

デジタル化の進展と「出版」を巡る状況の変容

出版の意味には「公にする」という言葉が含まれており、印刷技術の普及によって大量に印刷・流通させるという意味が加わりました。デジタル化によって出版の意味がどのように変化しているのかを考察します。新聞の発行部数が減少する一方で、ネットニュースやSNSを通じて情報を収集する人が増えています。

著作権という概念は、印刷技術の登場によって生まれました。デジタルデータの複製が容易になる中で、著作権侵害への対応が課題となっています。プログラムコードによる複製防止技術が進む一方で、著作物の所有を巡る問題も生じています。例えば、電子書籍では購入者がデジタルデータを所有するのではなく、アクセス権を購入する形が一般的です。

著名人のSNSでの意見表明が社会に大きな影響を与えるようになり、公的な言論と私的な言論の区別が曖昧になっています。感情的な共感や反感が世論を形成する状況において、出版の意味を問い直す必要があります。

今回のまとめ

今回の講義では、オングの『声の文化と文字の文化』を紹介し、マクルーハンのメディア論との違いを明らかにしました。オングは、電子メディアの登場によって声の文化と文字の文化が様々な形態に変化し、強化されていると主張しました。デジタル化が進展する中で、出版の意味を改めて問い直す必要性を示唆しました。

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0:01 出版メディア論第5回出版メディアを理解 するための資メディアロン2この事業を 担当しています谷村です。 今回の事業ではウォルタージャクソン オングの声の文化と文字の文化という、え 、書籍の中で展開された議論を紹介しつつ デジタル化の進展において出版の意味が どう変わってきたかということについて、 え、お話しします。ま、出版メディアの 現状を理解していくために、ま、必要な、 え、メディア論の紹介とそして、え、現状

0:47 のとりわけ、え、電子書籍が、ま、優位な 状況になっていく中で、え、出版という 言葉の意味をどう今後捉えていくべきか、 それを考えていく事業となります。 よろしくお願いします。 前回の事業のおさいをします。前回の事業 ではまずメディア論の基礎についてお話し しました。ま、メディア論ン、メディア 研究といった学問領域ではメディアと社会 の関係というのを通っていくのですけれど も、その、え、どのような形でメディアと 社会の関係を問うのか、それはメディアが 社会に影響を与える技術決定論的な、え、

1:34 考え方と、そして社会がメディアをどの ように利用していくのか、そして法律など で規制していくかによっで、その、え、 メディアのあり方をどう決めていくかと いうですね、え、これは社会決定論という 考え方ですけども、ま、社会決定論的な、 え、見方があると。この技術決定論と社会 決定論的な見方があることをまず、え、 強調した上で シッパメディアも、ま、19世紀に発展し た電子技術や交通、流通毛などと連動し ながら、え、ま、変わっていった、発展し ていったということを説明しました。さら その後メディア論の総者と言える

2:20 マクルーハンのメディア論と、ま、彼が 論じた出版メディアに関する議論を紹介し ました。ま、マクルーハンの議論は今回の 事業で紹介するオ具に、え、やはり影響を 与えているので、え、ま、前回のことも 少し思い返しながら今回の事業を受けて いただけると助かります。 今回の、え、事業の概要をお話しします。 今回の事業では、え、マクルー班と並んで 、ま、出版メディアに関連する研究におい て、ま、有名である音の声の文化と文字の

3:07 文化を紹介します。 そしてその後に 現在までに進んできたデジタル化の進展が 出版にどのような影響を与えているのか。 そしてその出版という言葉の意味をこれ からどう考えていくべきかについての 問いかけを示していきたいと思っています 。 ではまず音の声の文化と文字の文化の議論 を見ていきたいと思います。 ウォルターオグ、ウォルタージャクソン オグという人物について、え、簡単に紹介 しておきます。オグは、ま、アメリカ出身

3:56 なんですけれども、彼自身は大学では ラテン語を先行していまして、で、卒業後 に、ま、キリスト教の一波であるイ術会に 入会して、そこで活動をしつつ大学院で、 ま、勉強していたですけれども、1946 年にはこの家術会から資災の資格を授与さ れて、ま、資災としても活動してい え、方であります。ま、ですので、ま、彼 自身は、ま、イエスはカトリックですので 、え、そのカトリックの考え方というもの をに強くあの影響を受けていたということ が言えます。で、彼はですね、セント ルイス大学の大学院において、ま、英文の

4:42 研究をしてたんですけれども、その研究の 、え、最中、え、収支論文の執筆してた時 に、え、当時セントロリス大学にいた、ま 、ほぼ、え、年齢は実は同じぐらいなん ですが、え、ま、若手教員だったマクルー 班に、え、指導を受けています。 本具自体は、え、実のところ、え、実は 研究分野は、ま、メディア論といった領域 ではなくて、え、英文学であったりとか、 あるいは、ま、言語学いは哲学といった 領域のところで、え、ま、論文や、え、 著作を発表してたんですけれども、彼が 69歳の時に、え、声の文化と文字の文化 という、ま、彼が、え、それまで研究して

5:28 きたこととも関連することを含めつつ、え 、ま、メディア研究とそのマクルーハンが 所属していたトロント大学の、え、中で ですね、あの様々に、え、発表された メディア研究なんかにも影響を受けた、え 、声の文化と文字の文化という書籍を出版 します。で、この声の文化と文字の文化の 議論というものについて、え、今回は扱っ ていきます。 声の文化と文字の文化という本について、 え、ざっくとですが、まずあのご説明して おきたいと思います。 音が69歳の時に出版した声の文化と文字 の文化。英語で言うとオラリティリIT

6:16 という、え、タイトルなんですけども、え 、その本の中においてオングはオラリティ 、え、このオラリティという言葉は、えっ と、ま、声として、え、ま、発したあの時 の言葉の性格を意味する言葉で本来的には ですね、それを音はさらにあの、ま、拡大 して、え、その声としての言葉 があの発せえることによってもたらされる その性格、その性格を中心にして形成され ている文化をあの、ま、オラリティの、え 、言葉を中に含めるようにしました。 そしてそれを、ま、日本語の、え、翻訳を した方は声の文化という形で訳しています

7:02 。さらに、え、ま、リテラシーという言葉 。これは、あの、皆さんも聞いたことが あるかもしれませんが、え、文字を 読みかきする、え、能力のことを意味する 言葉として、え、また私たちの間では、ま 、よく理解されてる言葉かと思いますが、 え、このリテラシーの、え、言葉に関して も、え、音は、え、少しその意味をあの 拡大していて、え、この読みかき能力と いうものを中心に形成される文化のことを 指す言葉として使いました。え、ま、日本 語の、えっと、この翻訳が、え、ま、出 てるわけですが、その翻訳者の方はこちら の、え、言葉に関してもリテラシーと訳す のではなく、え、文字の文化という形で、

7:48 え、翻訳をしています。で、この、ま、声 の文化と文字の文化は、ま、まさに タイトル通りこのオラリティとリテラシー の比較、え、すなわち、ま、声の文化と 文字の文化の、え、比較をしている、え、 内容になります。で、どういう比較のこと をしてるかと言うと、ま、元々、え、人間 社会の中には当初は、え、文字はなかった わけです。え、声の文化が、え、最初に あったわけです。やがてその声の文化の中 に、ま、文字が入ってくるわけなんですが 、え、その文字が入ってきたことによって 起こってくる変化というものについて、え 、論じたのが、あの、この本の内容という

8:33 ことになります。で、さらに言うと、え、 その、ま、文字もですね、最初は、え、各 、え、手書きでですね、書いていたわけ ですけれども、印刷という、え、ま、機械 を使って、え、大量にですね、それを、え 、ま、文字を、あの、含んだ本を出版する ことができるようになったことによって、 え、際どういう変化が起きたかということ についても論じてますし、さらに、え、ま 、電子的なメディアというもの、え、ま、 テレビやラジオなどですね。さらにはあの 、ま、コンピューターなども入ってくる わけですが、え、そういった、え、電子 メディアが、え、導入されたことでさらに 、え、声の文化と文字の文化にどういう

9:19 変化が起きるかということについて、え、 ま、議論してます。で、え、ま、これは、 あの、マクルー班の考え方とも非常に近い ものですけれども、こういった、え、 メディアですね。え、ま、言うならな、 あの、声を使ってコミュニケーションする 、ま、声というものを売介にして、え、ま 、音声メディアというものを使って、え、 ま、やり取りをする時と、で、ま、文字と いうですね、これは、え、どちらかという と、ま、見る形で、え、ま、あの、読む わけですけれども、え、資格を、ま、あの 、中心でですね、ま、見ていくような、え 、そのメディアを使ってる時とで、え、 人々の思考の過程というのは、え、変わる

10:06 というように音は考えました。え、この オラリティからリテラシーに転換する中に おいてさらに印刷技術が導入されることに よって、さらにはあの電子的なメディアと いうのが、え、導入されていくことによっ て人々の思考がどう変わっていくのかと いうのが、え、この本の大きな問になって います。 この本の内容を詳しく説明していくと、え 、実のところ数回分の授業が必要になって くるので、え、もうかなり、え、ここも ですね、ざっくりと、え、ま、彼が、え、 音がですね、言っている、え、ことのです ね、ま、ごくごく一部の部分のところ

10:51 あるいは、ま、エッセンスのところをです ね、抜き出して、え、お話をしていきたい と思います。で、ま、声の文化というもの について、え、ま、一言で言うと、ま、 これは、あの、私が、えっと、対面ので 行ってる事業の中でもよく言うことなん ですが、え、声を使った形で、え、ま、 語りかけると、え、いう時、それはですね 、えっと、時間と空間に縛られていると、 え、言って、え、ま、過言ではないかと 思います。え、すなわちあの、ま、例えば この、え、事業動画はですね、録音された ものを、え、ま、皆さんがあの、聞いてる 、見てるわけだと思うんですが、え、この 場合はですね、え、すに、あの、ま、皆

11:39 さんは十分かってるように、え、録音され たものを いろんなタイミング、ま、少なくとも動画 が公開されてるタイミングで、え、皆さん 見る、聞くことができるわけです。 対面の事業であればそれはあの教室の中で 、え、ま、皆さんがあの、ま、教員と一緒 にいなければいけない。え、すなわち時間 と空間を共有していなければいけないわけ ですけれども、え、実際のところ、ま、 この、え、事業動画なんかはそこから 解き放えてるわけなんですよね。しかし、 ま、あの、声の文化というものは、えっと 、ま、本質的にはこの時間と空間に 縛らえる、共有されるということにまず 大きなポイントがあります。今とここに、

12:28 え、その会話をしているもの同士は縛ら れるわけです。 これがまず、あの、声の文化の特徴を 形づる重要なポイントです。 また、え、文字がない段階において話すと いう、え、言葉、あ、言葉を紡いでいくと いうのはまさにあの行動と、えっと、その 言葉にするというのは一緒なんですよね。 え、口を動かすっていう行為と、え、 そして、え、ま、あの、話、え、言葉が 出るというのは、え、一体になってるわけ で、え、そういったところも、あの、全然 違います。え、ま、文字の場合は、えっと 、ま、見て読んで考えるというような形で

13:13 、え、ま、思考してくわけなんですけれど も、え、そういう形ではないです。ま、 実際皆さんが友達とお話ししていること なんかを想定しても、あの、ま、分かり やすいと思うんですけれども、え、友達と 話してる時、ここがどこであり、今がいつ であるかっていうことはあんまり気にされ ません。そんなことみんなは分かってる からです。会話してる人たちは、え、です から、あの、もうわざわざですね、え、 そういった、あの、ま、今がいつで、え、 ここがどこであるかっていうのはもう全く 問われないわけです。ま、ただ一方的、 一方でですね、この声の文化というのは ですので状況依存的で、え、抽象的では ない特徴を持っていると、え、音具は述べ

13:59 ています。 え、ま、例えばですね、あの、音があの、 あるあの研究者の研究をあの、紹介して ですね、え、ま、例えばその文字を使え ない、え、人に対して例えばあの木はどう いうものか説明してくださいというように 聞いた時、え、ま、その、え、説明を求め られた人が、えっと、ま、例えばこれ文字 を知ってたとしたら木、木の特徴について 、え、色々思い浮かべながら、あ ま、説明をあの、することはできると思う んですね。うまくできるかどうか別として 。しかし、え、ま、言葉、あの、書き言葉 、え、文字を知らない、え、その人はです

14:44 ね、こう答えたらしいんですね。え、木が どういうものかみんな知ってるよ。誰も俺 からそんな説明聞かなくたって困らないよ 。だから説明する必要ないでしょっていう ようなことを言うんですね。え、ま、 要するにそんな当たり前のことはもう そもそも説明する必要はないっていう風に 考えるわけですね。え、ま、ここではあの 非常に、え、もう、もう相手も知って るっていうことを前提にした形で言葉を 紡いでるということになります。え、木と いう言葉を、ま、あの、抽象的に 思い浮かべて、で、え、それを、それに ついて、あの、言葉をついで説明しようと するっていう行為はやっぱり、あの、書 くっていう、え、行為のところと、え、 関連してるというのが音の考え方で、え、

15:30 ま、話言葉しかない。え、こういうの文化 、え、の中のですね、え、ではそういった 、あの抽象的何かを説明するということは 、え、できないんだということを、ま、 あの、ま、音は言ってるわけなんですね。 え、ですんで、例えばその声の文化の中で 、えっと、いわゆるその交渉文芸、交渉 文学をですね、え、語りつい、あの、つい できた、え、銀勇詩人の人たちも取り上げ ていて、で、その銀詩人の人たちというの は非常に、え、長い、え、ま、物語を、え 、もうそらじて、えっと、ま、語っていく んですけれども、え、その文字がなかった 時にそれをどうやって、え、ま、あ

16:17 その物語を積むことが可能だったか。ま、 あの記憶ということが、え、どういう形で 、え、なさえていたかというと、え、オ具 があの様々なその研究者の先行研究を、え 、取り上げながら話すには、え、ま、銀 指示の頭の中にはテーマと決まり文句と いうものがあの入っていて、そのテーマと 決まり文句を組み合わせて、え、物語を 紡ぐということをしているらしいんですね 。もうある程度その、え、テーマとそれと 関連した、ま、あの、決まり文句の 組み合わせというのが、え、もう自然に出 てくるようになっているだという風に言わ れます。え、あの、ここで物語を紡ぐと いうあの行為自体が、え、ま、私たちは、

17:04 ま、文字を前提にして考えるわけなんです けど、それとは全然違っているということ が、え、ま、音はあの強調して言います。 一方で、え、音のあの文字の文化の特徴に ついても少し触れておきます。ま、文字 情報というものは、え、先ほどの、ま、え 、音声の情報と異なり、え、その、ま、 特徴の1つとしては、えっと、時間と空間 を超える性質を持っているということが 言えます。え、私たちがあの、ま、過去の 、え、これまでも述べてきたように、え、 過去の、え、人たちの考えであったりとか をあの、知ることができるのは、ま、文字 が残されているから、え、それを知ること

17:50 ができるわけです。え、時間と空間を超え てその情報を、え、得ることができると いうのが、え、この、ま、文字の、え、 持ってるすごい大きな力なわけです。で、 え、ま、ただですね、その文字を、え、ま 、用いてる、ま、あの、発信者の側は、え 、その、ま、書いた時、え、そのですね、 文字を使って何かを表現する時に、え、ま 、その自分たちの状況に応じた形で、え、 その表現というのを入れてるんですが、 時代を下ってくると、え、実のところそれ 、そこに何が書いてあったのかよく分から ないということがよく、ああります。え、 実際自分が書いたものにしても、え、ま、

18:38 自分が殴りがきしたものをですね、後から あの見てもですね、あんまりそれをあの何 を言おうとしてたのかがよくわからないと いうことが起こります。え、すなわちです ね、え、文字を用いて、あの、発信をする もの、え、そして受信するものというもの は、え、それぞれがその発信する タイミングあるいは受信するタイミング あるいはどこで、え、発信し、どこで受信 するかということによってそのメッセージ に込めた意味を、え、ま、全然違ってくる ことがあるんですね。え、それをどう 読み取れるかっていうことも変わってくる んです。 ま、ある、え、タイミングで、えー、ま、 書いたこととあるタイミングで、え、同じ 、ま、メッセージを呼んだとしてもですね

19:24 、えー、全然、あの、そのタイミングに よって受け取り方が変わる時があります。 ま、これは、あの、皆さんもよくあると 思うんです。同じフレーズであっても、 えっと、自分があの、ま、精神的に安定し てる時に、あの、それを読む時と、ま、 精神的に色々となんか追い込まれたり、 あの、辛い状況だった時にそれを読むとの とでは全然あの、違った受け取り方が 起こったりする時があるんですね。え、ま 、こういう風に文字というのは時間と空間 を超えるんですが、えっと、その時間と 空間を超える時に、え、ま、言うならば 元々、え、発信者が持っていた文脈、え、 そこに込めたメッセージの意味とで、え、 あるタイミングでそれを読んだ人がそこ から受け取るメッセージの意味っていうの

20:11 が、え、ま、ずれてきたりするんですね。 それで誤解が起こったりするわけです。え 、ま、こういうちょっと問題がある。え、 先ほどの声の文化の場合はある種の一体感 があのあったんですけれども、それが、え 、ま、この文字を通じたやり取のとこでは 、え、その一体感はどうしても崩れざるを 得ないというとこがあります。ま、その 代わりに時間と空間を超えられるという あのメリットはあるわけなんですけれども 、え、ま、この部分のうちその、ま、現実 の文脈を超えた想像力をできるようにな るっていうのが、え、ま、もうちょっと 言うとですね、抽象的に思行するっていう ことがこの文字の文化によって、え、可能 になったという側面がある一方で、あの、 文字情報とによって時間と空間を超え るっていうのもちろんそうなんですが、え

20:57 、ま、一方で失われるものというのがあっ で、え、ま、ある種その言葉を使って、え 、ま、やり取りをしていた。あの、そこで はもうあくまでも状況依存的に、え、その 場その場の中で、え、その状況に合わせた 形で、えー、ま、言葉を紡いでいったと いう形のものが、えー、それとはまた全然 違ったですね。えっと、ま、文脈で、え、 文章が作られたり読まれたりするという中 で、ま、あの、様々な、えっと、一体感の 、え、ま、一体感が失われていくという ことが、あの、起こってきます。ま、ここ の部分のところについては、あの、ま、

21:43 マクルー班も言及してますし、え、音具も 、ま、それにあの、近い形で、あの、 あまり肯定的にこの部分を論じていなかっ たりします。 ただし、あの、オングが言うにはこの 書き言葉、ま、手書き文字を使ってる時は まだあの文字の文化は周辺に、え、声の 文化を持っていたと言います。え、具体的 にはその、ま、え、核という行為自体に 行為に出して読むということがセットに なっていたというんですね。え、例えば ですね、ま、聖書は、え、手書きの、え、 ま、社本などを使ってた時は、え、恋に 出して読む、ま、今でもあの、ま、 カトリックのなんかでは、え、聖書を、ま

22:30 、読み上げるということをしてたりします けども、え、この時の、ま、手書き文字を 使ってる時は、え、声に出して読むことを 前提にして書くということを、え、してい たらしいんですね。しかし、ま、あの、 音楽が言うには印刷によって声の文化と 完全に切リされることになります。そして 、ま、彼の、ま、表現を使うなら閉じた 世界というのが救い出されることになり ます。ま、閉じた世界、ま、閉じた資格 空間というのが生み出されることになり ます。え、ま、印刷を使うことによって、 ま、手書きの本よりはかに読みやすく、え 、ま、それは字を並べることによって、え 、読みやすいですね、え、直線的な、え、

23:17 直線的にあの、読むことができるような、 え、ま、本が発行されていくわけなんです けども、それによって、え、人々は、ま、 早く読むことが、あの、手書きより、え、 早く読むことができますし、として黙って 読んでいくということができます。ま、 これはあの本が大量にあるから、え、 わざわざ読み上げる必要がないということ についてはこれまでも説明してきました。 そして、ま、そういった、え、本の消費の 仕方、え、読み方があの出来上がってくる ことによってそれは本の作り方や文章の 書き方というものを変えていくことになり ます。

24:04 大量消費を前提にする、ま、商品として 印刷物というのは、え、作られ、ま、 できる限り読みやすいもので、またあの、 え、それは早く、ま、読めるように、あの 、ま、出来会消費者のためにですね、え、 作らえるようになっていきます。今後に 言わせると書き、え、手書き文字を使って いた時はまだ、えっと、生産者側の視点の 方が強かったと言うんですね。え、例えば その書きにくそうな言葉とかを省したり することを平気でやってるんですね。後 から読む人のことあんまり考えてないわけ です。え、これは、え、ま、音に言わせる と、え、まさにその声の文化の影響がまだ

24:50 残っていたという、え、ことをそれは意味 してるらしいです。え、しかし、あの、 印刷をしていって大量にこうすられていく 。そして、ま、あの、ほんの中身の修正も 、え、その気になったらですね、え、活字 を組み合わせれば、あの、変更できるので 、え、そういう中においてはやはり、あの 、ま、できる限り消費者が、え、読み やすい、え、ものにあのしていこうという ような形で工夫が、あの、来られる、あの 、来らされるようになっていたという風に 言われます。ま、こういったあの変化と いうのが、え、印刷を使ったですね、え、 ま、文字の文化というのが普及していく中 で起こってきて、で、ま、その結果、え、 ま、起こってきたこととしては、あの、

25:36 さきに、え、マクルーハの議論でも紹介し たように、ある種の分離、え、切り離しと いうものが、え、様々に行われていった。 で、それをあの、音は閉じた世界であると いうような形で言っています。ま、この 部分に関しては、え、マクルー班の説明を した時も、あの、言及しましたし、え、 これまでの事業においてもあの述べてき ましたので、そこはあの割愛したいと思い ます。 第2回の事業においてもこの図を使いまし たけれども、オ具は、えっと、言語表現の 様式によって、え、ま、こういう4段階 あるというような形で言っていました。で 、ま、あの、交渉的、初期的、ま、活的と いうところまでの話について、ま、あの、

26:22 それが交渉的な文、あの、ま、文化。それ はあの、声の文化と言われるもので、で、 初期的なところからあの、ま、え、文字の 文化に変わってきて、ただ、あの、初期的 な時は、え、文字の文化と、え、声の文化 というのがまだあの並列してるというか、 え、文字の文化の、え、にはこういうの 文化があの、絶対えずくっついてたという 状況があったと。しかし、え、勝事文化、 え、印刷による勝文化というのが、え、 普及していくと、え、だんだんですね、 その、ま、声の文化と完全にあの、文字の 文化の切り離しというのが起こってきて、 え、ま、まさにあの文字の文化は読むこと を前提とした、え、繰り返し言いますが、 あの、書き、言葉、え、手書きの文字を

27:10 使っていた時は、え、音読をする、え、 読み上げるということが、あの、そこに あの付随してたらしいんですけれども、え 、それがあの完全になくなっていってです ね、まさに読む、え、文字を目で見てあの 読んでいくというような形に、え、ま、 さに読むっていう行為があの変わっていっ たらしいんですね。で、そしてそれによっ てあの印刷される本の内容というものも 変わっていたと、え、いうことを、ま、 あの音は言うわけです。そして、え、 さらにですね、オグはあの20世紀に入っ て電子的なあのメディアが普及する中で声 の文化と文字の文化が、え、また変用して いくということを、え、主張していきます 。

27:58 電子メディアが普及したことによって、ま 、私たちの考え方とかが変わっていくと いうことについては、ま、実のとこ マクルー班もあの、ま、音に先じて言っ てるんですけれども、マクルー班は、え、 その電子メディアが普及していくことに よって、えっと、声の文化以前の感覚と いうのが復活するということを、あの、 主張しました。え、ま、文字の文化以降の 資格優位、え、ま、あの、目で見て、え、 読んでいくので、その資格優位の状況と いうのが、え、ま、あの、交代していて 聴覚有位あるいはあの、マクロハに言わ せると全進感覚を使ったような、え、 ま、どちらかと言うとその文化がですね、

28:45 え、全面化していくんだというようなこと を、ま、言ったんですけど、オグはあの、 そういう単純な、え、ま、文字の文化が 交代して、あの、こういうの文化の方が 全面化されるというような、え、言い回し をしません。 音に言わせると、え、電子メディア、え、 テレビなどによって、ま、あるいはラジオ などによって声の文化が確かにあの勢いを 取り戻したということは言っているんです 。ただ、え、その場合の声の文化というの は、あの、あくまでも、え、それまでに、 あの、もう気遣えていった、え、手書きや 印刷の文字の文化っていうものを基礎とし た形で、え、出てきた二次的な声の文化で あるというような形で、え、ま、決して ですね、声の文化が優位になって、で、え

29:31 、手書きや印刷の文字の文化は、えっと、 ま、どちらかというと交代していくって いうような見方を、あの、彼は、あの、し ないわけです。で、ま、実際のところ文字 の文化もですね、新技術の恩恵を受けて 新しい印刷物を作っていくというような ことを音はあの著者の中で書いています。 え、例えばあのテープというもの、え、 録音技術ですねを使うことによって、え、 様々なあの本や記事があの出版されていく と言います。ま、いわゆるあの、ま、聞い たあのテープの中で、あ、テープによって 録音された、え、ま、様々な人の対談の、 えー、ま、内容なんかをですね、 書き起こしてで記事にするということが

30:17 できると。これは、あの、以前であれば 無理だったというんですね。こういう録音 技術がなかった無理だったと。え、新しい その文字の文化というのが、え、出てきた んだというわけです。ま、一方でこういう の文化自体は、え、実際のところ様々な形 で、え、ま、例えばそのメディアを通じた 形で演説をあの、聞かせることというのは 、え、従来あの声の文化で想定されていた 、え、ま、同じ時間と同じ場所にいないと 、え、その演説を聞かせられなかったのが 、えー、もうはるかにですね、たくさんの 人たち、え、ただ単たに同じ時間と場所を 共有するのだけではですね、え、ま、 決してあ、あの、そんなに聞かせられない ような人たちに、え、ま、メディア、え、

31:03 ラジオやテレビなんかを通じて演説を聞か せられるということができるというように なっていったことを、ま、あの、音はあの 、主張するわけです。ま、こういった形で 声の文化と文字の文化両方が強化されてる ような状況というのが、え、この電子 メディアが普及した後に起こってきたんだ ということをオ具は主聴します。 ここまで、え、音の声の文化と文字の文化 の、え、本の中で展開された議論を、え、 ま、かなりこれでも買で、え、結構長々と 話してきたように皆さんからは聞こえるか もしれませんが、え、結構買でですね、お 話ししてきました。で、オの議論というの は、ま、細かく見ていってもなかなかあの 面白い、え、ま、視点というのがいくつも

31:50 あの示されてるんですけれども、え、ここ であの、ま、マクルー班の議論と差別化 する意味でオ具の議論の重要な点という ところを、ま、言うとですね、様々な情報 メディアが登場してくると、え、ま、何か の、ま、要はその古いメディアの、え、 完成というものが、え、完全になくな るってことはないわけです。え、新しく その声の文化が、ま、復するということを 、ま、これは、ま、クルーハもあの同じ ように言ってたんですが、え、声の文化が あの、ま、2次的な声の文化という形で 強化されて、え、そして、ま、声の文化の 持ってる力っていうのが、え、ま、文字の 文化が完全優勢だった時期よりも強まって

32:36 いくっていうことは、え、音も、ま、言っ てるんですけども、一方で、えっと、文字 の文化自体もですね、その、え、新しい 情報メディアの、え、恩恵を受ける形で、 え、また異なる形態にあの、ま、え、なっ ていくというような形を、え、ま、彼が 主張したっていうのは重要な視点です。え 、実際のところ今私たちの社会の中では デジタル化が進展する中において、え、 いろんなその、ま、メディアの、え、形態 というものをが変わらざるを得ないような 状況が起こってきています。え、そういう その古いメディア、新しいメディア、え、 そういうものが、え、混在していく中で、 え、何が起こっていくのかというのを理解 、え、していく上において、ま、音があの

33:23 議論した点というのは非常に重要なあの 視点かと思います。ま、出版というものを 巡っては、あのデジタル化というものが あの現在あの必ずあのそので出版を考える 上においてはあの欠かせないものの1つに なっています。え、それを考えていく上で も音の議論というのは大変重要かと思い ます。 続いて、え、デジタル化をの進展と出版を 巡る状況の変用について一部あの事例を あの踏まえつつお話していきたいと思い ます。 以前もお話しましたように、え、出版の 持つ意味には大やけにするという言葉が

34:10 ありました。で、この公けにするという 言葉を持っていた出版はやがてあの印刷板 印刷術が普及したことによって大量に印刷 して流通させるっていう意味がそこに内放 されたんだということもそあのお話しした かと思います。 印刷技術が開発されたことによって出版の 持ってる意味というのは実は拡張されたと いうことが言えます。そしてそれは今も、 え、そういうメディア、あの、新しい技術 が出てくることによって、え、ま、新しい 出版の意味というのが生み出されていく だろうということを、ま、想像させるもの です。ま、このことをまず踏まえた上で、

34:56 え、デジタル化によって出版というものの 意味はどう変わりつつあるのかを、え、ま 、見ていきたいと思います。 ここに示しているのは日韓文の発行部の データです。一般社団法人日本新聞協会が 出しているデータでして、2000年から 2024年までのデータをここに示してい ます。 2000年の頃は新聞は5370万部も 売れていた、発行されていたわけなんです けれども、この時は多くの家庭で新聞の 定期光毒が当たり前になされていました。 しかし新聞の数はその後ガタガタっと 下がっていきます。そして2010年代

35:45 終盤、さらに2020年代に入ってくると 発行部数の減少はより拍射がかかっている 状況となっています。 2024年の最新のデータでは発行部数は 2661万 部今にまで下がっています。すなわち25 年も経たない、反正規も経たいちに 2700万も新聞 発行数を下げ 2000 年に記録した数字の半分の数字になってまっているのです。 昔は朝起きたらコーヒーを確みながら新聞 を読む風景が多くの家庭で見られたもの

36:31 ですけれども、もはやその習慣は過去の ものになりつつあるということをこの データはっきり示しています。そしてこの ことは紙媒体の印刷物である新聞がここ までニーズが下がってきていることも示し ています。 人の発行物数が減少している状況を見まし たけれども、しかし私たちが自分のことを 考えると決してえっとニュースを得たいと いう、ま、ニーズ自体は決してですね、 私たちの中でなくなっていないということ は理解できるのではないかと思います。 私たちはネット上のニュースサイトであっ たり、あるいはあのニュースアプリなんか

37:16 を利用してですね、え、様々なあの情報 収集をしていますよね。ま、さらにあの オンラインマガジン紙の雑誌は買ってない けれどもオンラインマガジンを買って るっていう方もいるかもしれません。え、 さらにはあの気になるインフルエンサー だったり情報発信をしてる人たちなんかを 、え、ま、まとめサイトなんかも含めて ですがSNSでフォローしていたりもする んじゃないでしょうか。え、私たちはあの 様々な形で情報を集めようとはあのして いるわけです。で、実際そうやってあの 情報をあの、ま、発信してくれてる人たち もいるわけですよね。で、ま、出版という ものがその知識や思想等を公けにするもの だと考えると私たちはデジタルデバイスを

38:02 通じて本当に様々なあの公表されている、 え、知識や思想に触れているということが 言えます。また、え、それだけではなく、 現在の私たちは自分の考えというものを SNSを通じて、え、発信公表しています よね。え、そしてそれは、え、ま、あの、 SNSのアカウントに鍵をかけてない限り は、え、限定的にしかあの、見れないよう にしてない限りは、え、誰もが、え、第3 者がですね、誰もが見れるような、え、 状況になってるわけで、それはまさにあの 知識思想を大けにしている、え、という ことになります。ま、私たちはそういった 形であの情報発信をする、え、ま、ある

38:47 意味出版というあの行為を、え、日常的に しているということになるのですけれども 、それは、え、神を通じて行ってるわけ じゃないわけです。え、市面の資格空間に 文字を配置して、え、ま、あの、情報を 伝えていくという形式は、え、廃たれつつ あるわけなんですけれども、電子的情報 空間の中で、え、情報を、え、様々な形で 伝えていこうとする。ま、ある意味でその 出版メディアというものは電子的情報空間 の中で、え、ま、広がっているということ が言えるわけです。そしてそのことは失版 の意味というものが大きく変わりつつある

39:32 ということと繋がっています。 ここに、え、出版を巡る、え、ま、変化を 意味する、ま、概念として著作権のことを 取り上げたいと思います。そもそもこの 著作権という概念自体は、え、印刷技術が 出てきたことによって登場した権利だっ たりします。ま、さらには、ま、写真や 映像や録音といった複製技術もそれが普及 することによって、え、ま、サインはあの コンピューターなんかで、えっと、作ら れるプログラムなんかもそうなんです けれども、え、ま、複製があの容易である というあの技術が、え、何かあの捜索物を

40:19 複製することが用意であるという技術が出 てくると、え、この著作権というあの権利 というものが、え、かなりクローズアップ されて、そして、え、ま、何らかの形へ ですね、法律の中にあの追加されていくと いうことが、え、これまで何度も起こって きました。ただ、ま、それの1番最初と いうのは、え、印刷技術、カパ印刷技術が 普及した後に起こったわけです。 え、印刷技術の前は、え、本を、え、 移し取っていくという行為はすごくコスト がかかることでした。で、その時は やっぱりその作者っていう概念自体も そんなに重要じゃなかったわけです。 そもそもそうやってあの映し取ること自体 が大変だったからです。え、しかし印刷

41:05 技術が普及していくと、ま、すぐに 映し取る、え、そのコピーすることは簡単 になっちゃったわけですね。え、そうする とですね、え、何が起こってきたかと言う と、例えば、あの、大量に売れた本の中身 を丸パくりしてですね、え、自分、あの、 ま、他人が、えっと、作ったあの著作物と いうものを、え、ま、自分の印刷機あのを 使ってですね、大量に複製してで、それで 金儲設けするって言った業者が、あの、実 はこ板印刷技術が、え、登場してですね、 しばらく立ってくると、え、ま、いっぱい 出てきたわけですね。で、それはあの最初 、え、の、ま、最初にですね、著作物を 発行した、え、業者からすると、ま、 許せる行為じゃないわけです。 めちゃくちゃあの、え、時間と金をかけて

41:50 、え、作ったですね、ま、情報、え、自ら の情報をですね、え、ま、ただのしてあの 持っていかれてしまうっていうのは、ま、 本当にしかったと思います。で、そういっ たあの、ま、中でですね、え、ま、発達し てきたあの権利というのが著作権なんです ね。ですから自作権は英語では コピーライトと言いますけれども、え、 このコピーライトは直訳した複製権、複製 する権利と、え、いうことになります。え 、要はあの複製してもあのいいですよと いう権利をあの、ま、いわゆる限定的にし ていく、法律を通じて限定的にしていく ことによってですね、ま、いわゆるそのを していくような、ま、不きな人をですね、 え、業者をですね、え、駆逐していくと いうことが、あの、この著作権の目的だっ

42:36 たわけです。え、そしてそれはあの様々な 複製することができる、え、ま、著作物と いうものが登場していくとこの著作権と いうのは、え、クローズアップされてです ね、で、あの、法律の中にあの、導入され ていったわけです。しかし、ま、デジタル データもですね、同じように、ま、 プログラムのデータなんかもですね、え、 こういう著作権で守られるものとしては、 あの、ま、かなり早い段階でですね、え、 認められるようになっていったのです けれども、しかしこのデジタルデータ、 あの、様々な複製する、え、ものが、あの 、ま、録音される、え、録音データ、え、 さらには写真、え、あるいは画像データ あるいは、え、映像データという形で、ま

43:21 、あの、デジタルデータをが広がっていく 中でですね、ま、それの、え、ま、 いわゆる無断複製、著作権違反というもの に対してどう対応するかというところは、 え、大きな課題になっていきました。法律 では、あの、実のところ十分にあの、手が 回らない、え、状況というのが続いていく 中、やがて、えっと、プログラムコードに よって複製行為自体ができない、え、 そもそもその行動自体ができなくするよう な形で、えっと、規制をかけていくという ことが、え、進んでいきました。で、え、 それがあの現在に至ってるわけですが、 それによって、え、ま、私たちのですね、 著作物、え、を、あの、どういう風に使う か、え、どういう風に楽しんでいくかと

44:06 いうことにの環境は大きく変わることに なりました。 例えば著作物の所有を巡る変用というもの が上げられます。 紙媒体では、あの、皆さんも紙媒体の本を 持ってたら、あの、そうだと思うんです けど、え、当然ですが購入者がその、え、 物理的な書籍のを有してます。あの、持っ ています。え、私もたくさん本持ってます けども、え、その本というのはその木に なったら、えっと、私はあの、売買する ことができます。え、その本を所有して いるからです。しかしデジタルデータに おいてはこの、え、ま、著作物の所有と いうものが、えー、ま、どう認めるかって

44:53 いうとこが問題になったわけですね。え、 先ほどもあの少し触れたみたいにデジタル データはコピーなので、え、すぐコピーは あのしちゃうことは簡単なわけです。です ので、え、AmazonのKindle なんかの、え、電子書籍のアプリなんかで は、え、ま、書籍のですね、デジタル データをその購入者に所有させるのでは なく、ま、要はPDFデータの形で配布 するといったことをせずですね、え、 あくまでも書籍のデジタルデータに対して アクセスする権利をあの、売るという形を 取っています。え、ですので、ま、実の ところこれAmazonKindle側が ですね、え、

45:40 規約を変えたりしたりすると、え、 あるいはもうそのAmazonが潰れて しまったりするとそもそも論としてこの アクセス自体が、え、できなくなって しまうということが起こるわけです。 物理的なあの本であれば、え、持ってい たらそれを読めるわけなんですけど、えー 、ま、購入していたとしても、え、いずれ 読めなくなる可能性というのが、え、電子 書籍にはあるんですね、現状は。で、ここ の、え、ま、ある氏の不常理さという ところに対しては、あの、まだまだあの、 議論は、あの、十分じゃないように思うん ですが、私たちはもうそれが当たり前の ものとなりつつあるように思います。

46:26 ちなみにあのサブスクリプションサービス 、え、様々なですね、ま、Netflix などのですね、え、ま、映像なんかにあの アクセスするあの権利を一定期間あの与え るっていうようなやり方もま同様のやり方 です。で、ま、こういう風にですね、ま、 映像にしてもあるいは、え、本、え、書籍 というものに対してもですね、消費者側が あの所有をどうしていくか、あるいは利用 や消費をどうするかっていうことについて は、え、かなりあの本当にこの10数年の 間で、え、変わってきたと言って過言では ないと思います。で、え、ここまでも、ま 、話してきたように、えっと、ま、 メディア研究というのはこのメディアと 社会の関係を考えるわけです。そしてそれ

47:13 は、え、メディアが変わっていくことに よって人々の感性が変わるということが、 あの、ま、重要なですね、え、の視点の1 つとしてあるということを、あの、説明し たかと思います。え、実際マクルーハンで あったり、オングであったりは、あの、 そういう視点から、え、人々の考え方、 思考、家程というものが変わっていくと いうことについて、え、議論してたわけな んですけれども、当然ですね、こういう作 物の所有を巡る変用が、え、私たちにどう いう影響を与えているのかという、そして 私たちがどういう感性や考え方をするよう になっているかっていうことは、え、 例えば重要なですね、え、ま、こういう 出版メディアを巡る論点の1つとして 言えるだと思います。

47:59 そしてデジタルメディア上のこういった、 え、状況は出版というものの意味を改めて 取り直す部分が、え、出てきています。 例えばあの現在著名人、え、有名な、え、 人たちのSNSでの意見表明というのは 大きなあのインパクトをあの社会に与える ことが多あの多くあります。え、大きな 社会的影響力をあの発揮してしまう。え、 それはあの非常になんというか私的な、え 、ま、コメントであってもですね、時に それが、え、大きな影響力を持って世論を 動かすということがあのあったりするわけ です。 公的な言論を発表する行為として、ま、 出版は元々はあのありました。今でも、え

48:46 、例えば研究者があの出版をするっていう ところにはある種の責任と、え、そして、 ま、やっぱりしっかりした、え、ま、内容 のものを作らなければっていう、ま、あの 、意識があるわけなんですけれども、え、 気軽なあの、私的なあの意見の、え、提示 というのと、え、その公的なあの言論の 発表の仕方っていうものが、え、今の SNSソーシャルメディア上においては もう、え、ごっちゃいになっている、え、 状態っていうのは皆さんもあの分かって いるかと思います。で、え、ま、こういっ たあの環境の中では、え、理性的な議論が 例えばそのSNSの中では、あの、 なかなかされにくい部分があります。それ よりも上動どちらかと言うともうあの感情

49:32 とかがですね、え、 もう先にあの、ま、考えるより先にですね 、え、動くまさに赤髄反射的な共感とか 反管とかがですね、連鎖していって、え、 世論を作り出していくような状況というの が、え、ネット空間の中では、あの、見 られる、え、というのが、あの、あります 。で、こういった公的言論と指的言論って いうのが混じり合って、え、今やあの、ま 、世論が作られるという状況の中において 出版、それは大やけにするという意味が あのかつてはあったわけですが、その出版 の意味っていうのは一体何なのかという ことを、え、私たちは、ま、 問い合わせ直していく必要があります。ま 、この部分について、え、また、あの、

50:19 今後も考えていきたいと思いますので、え 、あの、今後事業を受けていく上で念頭に 置いておいてください。 今回の事業の内容を求めます。今回の事業 ではウォルター、え、ジャクソンオグに よる、え、声の文化と文字の文化の議論を 紹介しました。今後はマクルーハンの メディア論の議論を踏まえつつ、え、それ とは異なる視点から議論を展開したという ことについてお話ししました。え、 とりわけその、ま、マクルーハは、えっと 、電子メディアが、え、ま、登場していく 中において声の文化が復見していくという ことを言い、で、文字の文化の部分の ところは交代するというような、え、ま、 認識を示してたんですけれども、え、そう

51:05 ではなくて音具によれば、えっと、声の 文化、文字の文化が、え、様々なあの携帯 の方に変わっていき、あの、あるいは強化 されているということを、あの、主張し ました。え、ま、具体的は2次的な声の 文化という形に声の文化は変用していき、 そして、ま、あの、文字の文化自体は、 あの、ま、そ、新しいその電子メディアの 、え、影響も受けながら、え、その携帯を 変用させていく、あるいはあの強化して いくということが起こっているんだという のが、あの、音が主張した部分でありまし た。一方で、え、デジタル化が進展する中 によってその出版公けにする、え、自分の 意見やあの思想等を公けにしていくって

51:50 いうことの意味が改めて問い直される状況 にあります。え、この出版の意味をどうし ていくかというのは、え、今後の事業の テーマの1つになっていきます。 今回の事業で参考にした文献は、え、ここ に示す通りです。 今回の授業内容はこれで終了となります。 お疲れ様でした。

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